13日の金曜美術館|アトリエ如瓶|ブログ・ヘッダ画像

このブログは、世の中の様々な「黙っていられん!!」ことを書くことを主旨としております。お客様や、お客様になるかも知れない方が読む可能性のあるブログではありますが、(書き手が勝手に決めたものながら)主旨を尊重し、常体文で記述して参ります。何卒お含みおきの上、お読みくださいますようお願いいたします。

大捜査線

皆様、こんばんは。館長&代表の如瓶です。

前回のブログで、少々ケチを付けるような内容を書いてしまったので、早めに責任をとっておこう。

これも前回書いたとおり、「ゆうひが丘……」の放映が終わった後に「大捜査線」なるドラマが始まった。
そういえば、織田裕二(以降敬称略します)の主演ドラマでも「踊る」付きだが似たタイトルのドラマがあったが、今回書こうとしているのは杉良太郎主演の方。
放映年も1980年、つまり私が中学生の頃で、時代劇のイメージが強かった杉良太郎が、現代の刑事役に挑んだ異色のドラマであった。
当時の私にも杉氏に対してうっすらと認識はあり、髷のついたカツラなしの杉氏を意外に思ったのを覚えている。
放映前の番組CMの映像でも、結構激しいカーアクションがあり、杉氏扮する加納明の愛銃はコルト・パイソン357マグナム・6インチと、大ぶりで個性的なヤツを使っていたりとか、当時の私からすれば内容的にもキャスティング的にもなかなか興味深く思えていたのだ。

で、今週の火曜日の第一回の放送日。
私は、中学生の頃の気持ちに戻りつつも、その後いくつものドラマや映画を見てきた立場としても、興味津々に番組を観てみた。
オープニングの曲も、今聴けば時代がかっているというか、任侠モノの映画のテーマ曲のようなのを気にしなければ、なかなかインパクトの強い仕上がりだし、加納明がどんな立場でどんな人物なのか、説明的に描写せず、台詞を追っていくごとに次第に分かってくるような凝った作りになっていて、なかなか引き込まれる。
劇中のカーアクションにしても、車内からフロントガラス越しの光景を見せてスピード感を出すなどの演出にも目を開かされたし、とにかく主演の杉氏がカッコよく見えるように尽力したドラマであることはよく伝わってきた。
時代劇スターにしておくには勿体ないほど長い脚を開き、両手で体の中心にパイソンを構える射撃姿勢も個性的だし、何よりスリーピースのスーツがよく似合う。
現代劇ということもあって、語り口も抑えめだったりして、見事に時代劇との使い分けはなされているあたりも、流石と言ってよいのではないだろうか。(とるべき責任・その1)

また、「ゆうひが丘……」にも出演していた神田正輝も、同じく準主役級で出演していて、そこから2年が経過して経験を重ねてきたためか、台詞回しにも上達がみられ、少し安心して観られるようにもなっていた。(とるべき責任・その2)

ヒロインに当たる本阿弥周子は、よく知らない女優さんだったので調べてみたところ、時代劇などに多く出演していて、どちらかというと悪女役が多いとの記載を見つけたが、なかなかの美人で、加納明をサポートしつつ寄り添っている感じも、美人秘書のようで好印象。

だが!
スポッと取り外せるのではないかと思えるような杉氏のヘアスタイルとか、パイソンを撃った瞬間、自分が撃ったのにビックリしているかのようにパッチリと目を閉じてしまうあたりとか、独特な射撃姿勢にしても、長い脚が災いして極端なガニ股に見えたりとか、杉氏をカッコよく描こうとすればするほど、それらのイマイチな要素が浮き立ってきて、強烈な違和感を覚える結果となっていた。
昔、加藤茶が「現代劇に出演しているのにどうしても見得を切るクセが抜けない歌舞伎役者」を演じたものとか、(恐らく影響を受けたのだろうけれど)内村光良が「現代劇に出演しているのに時代劇の喋り方が治らない時代劇役者」を演じたりとか、どうにもそういうコントを彷彿させて、カッコよさやシリアスさの邪魔をしている感が否めなかった。
トドメはエンディングテーマ。べらんめえ調の語りから入り、いかにも演歌チックな唱法で展開し、杉氏自身が作詞したこの曲も、パイソンを木製の鞘に収まった日本刀に持ち替えた方がしっくり来る仕上がりだ。

更に細かいことを書くと、至近距離からショットガンで撃たれて散弾を受けたはずのに、血が吹き出すのが一箇所だけだったりとか、幾ら357マグナムだからといって、加納明があの射撃姿勢で車のエンジンあたりをズドンと撃ったからといって、すぐにエンジンが止まってしまうほど日本車はヤワじゃないと思うし、その道の第一人者であるトビー門口氏が、火器周りの監修をしていたはずなのに、不自然な描写もチラホラ。
ウィキペディアを参照したところ、台詞にも警察の専門用語が多用され、リアリティを追求しようとしていたらしいのだが、火器周りの不自然は、中学の頃の私でも気が付いだのではないかと思うほど、残念なものを感じた。

とまあ、そんな感じで、制作側も失敗を認めたという噂の刑事ドラマの一回目を観終えたのだけれど、時代劇スターの起用や斬新な演出やシナリオなど、多くの個性や能力が結集して挑んだドラマだったのだと思うのだが、残念ながらそれぞれの要素が噛み砕かれて消化されることなく制作が進んでしまったのではないかと推測され、何とも惜しまれるなあという印象だった。

しかしながら、劇中の杉氏も作品自体も、現代風に言うならば「ダサかっこいい」と評して良いのではないだろうかという気もしている。
放映当時に「ダサかっこいい」という言葉は存在せず、つまり「カッコいい」とか「可愛い」とか「きれい」とか「笑える」とか、単一的な価値観が併存しているのが普通とされていたのが当時のドラマの在り方で、世の中もそういうトラディショナルな価値観でしか作品を評価できなかったから失敗した……つまり視聴率が上がらなかったと考えられる。
「ダサかっこいい」とか「キモ可愛い」とかみたいな、相反するものが同居しているものについて評する言葉は、その言葉が誕生したことでカテゴライズされ、存在価値を持つようになっていったと思う。
つまり、「ダサかっこいい」このドラマは、今観ると結構楽しめるのではないかと、初回放送を見終えて確信した次第である。(とるべき責任・その3)

そうした確信を裏付けるように、放映が終わった第三話まで興味津々に視聴したし、更に来週月曜の第四話が今から待ち遠しい。
色んな角度から楽しめそうな「大捜査線」。今後再放送されるのがいつになるか分からないことだし、是非皆様もご覧あれ。

「ダサかっこいい」と、賛辞のつもりで書いては来たけれど、杉氏からすればやはり不本意かも知れないなあと思いながらも、(運転時に)違和感を感じるという理由から運転免許を返納した英断は、素直に惚れ惚れするようなカッコよさだと思ったことも付記しておこう。(とるべき責任・その4)

以上、これはテレビ番組評ブログかよと思いつつも、取るべき責任を果たしてホッとしたいばかりに、黙っていられませんでした。

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