13日の金曜美術館|アトリエ如瓶|ブログ・ヘッダ画像

このブログは、世の中の様々な「黙っていられん!!」ことを書くことを主旨としております。お客様や、お客様になるかも知れない方が読む可能性のあるブログではありますが、(書き手が勝手に決めたものながら)主旨を尊重し、常体文で記述して参ります。何卒お含みおきの上、お読みくださいますようお願いいたします。

João Gilbertoのこと

皆様、こんばんは。館長&代表の如瓶です。

ボサノヴァのことについては、何度か文章に書いたし、ジョアンが亡くなったのを知った日につぶやいたりもしたけれど、やはりここでも書いておこうと思って、つぶやいた後に2000文字ちょっとまで書き進めたけれど、どうにもうまくまとまらないし、過去に書いたことをもう一度書いているような感じがして、ブログ自体をストップさせてしまった。

ジョアンとの出会いは、20歳頃だった。
それから、聴くほどにその楽曲や声やギターに魅せられていき、ポルトガル語の歌詞を十数曲覚え、27歳からギターを弾き始めて数曲は弾けるようになり、やがて飲み友達たちとスタジオに入って演奏するようになったのが2002年くらいだったか。そのうち、お金をとったりはしなかったけれど、人前で演奏する機会もチラホラあったりして、美術の世界に身を置いてきたはずでありながら、音楽までも表現活動として取り組むようになったきっかけをくれたのがジョアンだった。
特にスタジオに入って演奏するようになって以降は、第二の青春が始まったようで、ジョアンとの出会いに痛く感謝したものだった。

初来日、いやアジア初上陸だった2003年のジョアンのライブは、その前に聴いていたライブアルバムで、その衰えに唖然としたこともあり見送ったが、2004年の再来日のときには意を決してライブへ行き、小指くらいの大きさに見える程度の距離だったものの、ジョアンの素晴らしい演奏に胸を打たれ、前の年に見送ったことを大いに後悔した。

こんな風に、他のどの音楽よりもボサノヴァやジョアンの弾き語りに心酔してきたのだけれど、それもこれも、なぜジョアンにこれほど惹きつけられるのか、その謎を解くためにやってきた事だったような気がしている。
真偽の程は定かでないようだが、私生活からして謎めいていたというジョアンの謎は解けないままだったし、具体的な死因も明かされていないそうで、私にとって最後の最後まで謎めいた人だったが、そうした謎こそがジョアンの魅力であり、ジョアンそのものだったのかも知れない。

そもそもギターを手に取らなくなって久しいのだけれど、もうギターを手に取ることもないかも知れない……と、Twitterには書いたが、もうしばらくの間は弾く気にならないだろう……と書き換えておこう。

音楽を演奏する人生を、第二の青春を有難う。改めて合掌。