13日の金曜美術館|アトリエ如瓶|ブログ・ヘッダ画像

このブログは、世の中の様々な「黙っていられん!!」ことを書くことを主旨としております。お客様や、お客様になるかも知れない方が読む可能性のあるブログではありますが、(書き手が勝手に決めたものながら)主旨を尊重し、常体文で記述して参ります。何卒お含みおきの上、お読みくださいますようお願いいたします。

Tシャツ販売・更にその後ともう一つの追悼

皆様、こんばんは。館長&代表でブログをサボり気味な如瓶です。

タイトルにあるように、Tシャツ販売についての動向について書いておこうと思う。
売れ行きはというと、その後ズバリ0! ……という悲しい現状だったりする。
9月の中旬頃に販売を始めた時点で、Tシャツとしては遅い販売開始だったと思うし、知人からのご祝儀的な購入の4枚以降、サッパリ注文がなかったので、去る10月27日にオフシーズン・セールという形で1,000円割引を敢行した。
この頃、Instagramの商用利用の許可が降り、投稿した画像に、値段を表示できるようになったりしたのを好機としたのだが、やはり秋が深まる時期ではアピール不足。しかもコロナ禍で景気は世界的に冷え込んでいるためか、セールスはストップしたままだった。
毎日のように経済ニュースに目を光らせていて、米国といい国内といい、消費が不活性化しているため、行き場を失ったお金が投資に流れ、株価が高騰しているという話を知っていたため、投資家がトレードに回す分の浮いた資金を狙っていた部分もあったのだが、やはりアテが外れてしまった。

私のInstagramのフォロワーは、外国の方が多く、北半球が秋や冬になろうと、中東や南半球エリアの方も少なくないのでチャンスはある……と思っていたのだが、引き合いはないまま。やはりこれもコロナ禍の影響というべきだろうか。
付け加えて書くならば、期待していた海外へのセールスには、アジア以外のエリアだと2,000円を超える送料がかかるという点も障害となっていると思う。アフリカや南アメリカ大陸諸国だと何と2,400円。私のTシャツの制作費に相当し、これは本当に想定外だった。
物価の安い国だったりすれば、送料だけで上等なTシャツが買えるだろうし、いくら絵柄を気に入ってくれたとしても、2着買えようかという金額のTシャツを買うのは、そこそこ裕福でないと出来ないことだろう。
100着単位で大量生産・大量輸送するならば、送料も気にならない金額で販売できるかも知れないけれど、現状では無理だ!

せっかく作ったTシャツが売れなくては困るのだけど、性格上どうしてもあざとくフォロワーを増やしたりなどするようなことは、出来ればせずに済ませたい。
というわけで、とうとうウインター・バーゲンと称し、更に割引して3,000円での販売を、昨日開始した。

Tシャツ販売を開始したときのブログにも書いたけれど、オリジナルTシャツの相場の値段は3,000円くらいであり、とりあえずそれでも利益は出る。
しかしながら、この相場の金額で計算すると、60着ハケてようやくその収益だけで増産ができ、あるいは新しい絵柄のTシャツを作ることだって出来ることになるのだが、この枚数を売りさばくのには、何かのきっかけで脚光を浴び、バズるような事でもなければ何年かかるか分かりゃしない。
次の展開をなるべく早く見込むためにも、少々高めのお値段にしたのだが、在庫が腐るわけではないし、やはり気長に考えたほうが良さそうだ。

名誉のために書いておくけれど、お買い上げいただいたり、販促の協力のお礼としてTシャツを進呈した方たちの反応を書いておくならば、概ね評判はよく、「珍しいTシャツを着ているね」と指摘を受けたという声を聞いたし、換気扇のをお求めくださった方は、「絵柄にインパクトがある割に色調がグレー系だからどんなシャツとも合わせやすい」という実感を聞くことも出来た。そんなに出来の悪いものではないと思うのだ。

ウインター・バーゲン開始からまだ一日しか経過していないが、上掲の画像に対するいいねは12件程度で、ショーン・コネリーの似顔絵などと比べても反応は薄い。要するに、標準的と思われるお値段にしても、今は待つべき時期……ということになろうだろうか。
ある程度経済も回復して、猛暑だったりすれば、Tシャツのニーズは高まるだろうし、秋冬には私自身着づらいヒマワリの株も上がり、愛されるTシャツになる……んじゃないだろうか。
因みに、春夏を迎えた際に、セール価格またはバーゲン価格を元に戻すかは、今なお検討中であります。

さて、タイトルにある「もう一つの追悼」について。
私が今年最も熱心に表現活動をしてきたのは007シリーズに関連するイラスト制作だったわけで、それはショーン・コネリーの追悼のブログでも書いたとおりなのだが、似顔絵を描くにあたりDVDをレンタルしたついでに、TVの放映ではカットされていたシーンを見たくて『女王陛下の007』も借りてノーカットで鑑賞してみた。
放映時間の関係があり、ストーリーの破綻を最小限にするためとはいえ、よくもまあこんな重要なシーンをカットしてくれたもんだと呆れつつ、それをきっかけに、ウィキペディアの記事も改めて見てみたのだが、一連のイラスト制作の最初に描いたこの映画のボンド・ガールを務めたダイアナ・リグが、今年の9月10日に82歳で亡くなっていたことに気が付いた。
これもショーン・コネリーの追悼のブログでも書いたけれど、TVでシリーズのほとんどが放映され、私がせっせとイラストを描いた年に、ショーン・コネリーが亡くなり、さらにその前にダイアナ・リグも亡くなっていたとは。
TVでの放映がきっかけで取り組んだイラスト制作だったわけだけれど、007シリーズに出演していて、私が似顔絵を描いた2人もの俳優さんが亡くなったというのは、少し重たい偶然である。
再掲する形になるけれど、もう一度イラストを掲載して、ダイアナ・リグの逝去を悼みたい。

以上、黙っていられませんでした。

女王陛下の007・トレーシー役のダイアナ・リグ

追悼 ショーン・コネリー

皆様、こんにちは。館長&代表の如瓶です。

少し時間が経ったけれど、ショーン・コネリーの訃報をネットで知った。
俳優業を引退して久しいし、大雑把に把握していた年齢からして、驚愕するという感じではなかったけれど、テレビの映画で007シリーズの特別企画が組まれ、それに(ある程度)合わせてこれぞというシーンを選んで水彩でイラストを描き、Instagramにアップして……みたいな事があった年に訃報が届いたのには何かしらの数奇さを感じた。

小学生の頃から、一番憧れた外国人俳優だったし、007シリーズの印象が強すぎて、それ以外の映画はあまり観なかったけれど、やはり目指せど届かないことが明らかな分、余計に憧れた大人の男性だった。
私自身が歳を取るにつれ、イメージと違う情報が耳に入ったり、いい歳になって観る007シリーズは、幾らか色褪せてみえるというか、物足りなさを感じたりもしたけれど、映像の中で躍動する彼は、やはりカッコよかった

ジェームズ・ボンドのイメージが固定化されるのを嫌がっていたりなど、スターなりの苦悩はあったろうけれど、過去のシリーズを制作したのとは別な映画会社からジェームズ・ボンドとして復帰したりしたし、イギリス人にして日本人の平均寿命を上回る歳(90歳)まで存命だったのだから、悔いなく人生を終えられたことだろうと推測する。
最晩年は認知症であったことも、併せて報じられたが、事実とはいえ聞くのが辛い情報であった。

と、そんな訳で、追悼の意を表すべく、約3カ月ぶりに映像を一時停止するスタイルで、似顔絵を描いた。
これまで映画の一時停止したシーンを描く場合、少なくとも肖像権に抵触しないように(全くしてないのもあったけど)して描いていたのだが、顔の半分とか判別しにくいほどに小さく描いては追悼にならないので、今回は堂々と顔を描くことにした。
この間の連作において、堂々と顔を描いた場合であっても、ショーン・コネリーほど顔を知られていない人を描いたので、あまり似なかったとしてもプレッシャーは少なかったのだが(それでいいのか?)、今回は、似ている以上に、私の感じる彼のカッコ良さをバッチリ描きたかったので、シーン選びの段階から緊張を禁じ得なかった。

ご本人も、シリーズ中では一番好きな作品だったという、『ロシアより愛をこめて』の、ダニエラ・ビアンキとのキスシーンにしようかとも思ったが、それではあまり追悼っぽくない気がしたし、二人分の肖像権に抵触する恐れがあるので、ジェームズ・ボンドとして最初に顔が大きく映るシーンを選んだ。
Bond, James Bond.」という、後の作品でも登場する自己紹介のセリフも、このシーンが最初だった訳である。
書かなくて良いことなのかも知れないけれど、テレビの特別企画で放映された『Dr. NO』では、ストーリー上の重要性が低いとはいえ、バッサリとカットされていたのに気付いていたので、DVDをレンタルして描く羽目になってしまった。

ショーン・コネリーの顔は、高校の頃に前出の復帰作のパンフレットを見て描いて以来だったのだけれど、その時の印象通り、描いて見ると本当に難しい顔立ちをした人だ。
このシーンの時で32歳だったそうだが、それとは思われない貫禄というか老け具合というか……ともあれ、顔の表面の変化が多くて、それをキチンと捉えていくのが難しい。
人の顔を描く場合、子供よりは大人が、女性よりは男性が、凹凸がハッキリしていて描きやすいとされるのだが、この人の場合、少しでも形をとり損ねると、たちまちらしさが失われ、ただのムサいおっさんの顔になってしまうのが恐ろしいところ。

レンタルやら、顔立ちの難しさなどの障害を乗り越え、どうにか投稿しても良いと思える段階まで仕上げたけれど、やはり魅力を描ききれなかった気がしていたのだが、Instagramでの反応はまずまずで、どのシーンだか分かったという方(スイス人)からコメントを貰ったのはなかなか嬉しかった。

本当に追悼以外でこのイラストは使わないので、関係者の皆様、私を訴えないでね……という点も含めて、ファンとして真摯に追悼したい気持ちを黙っていられませんでした。(お、今日は少し短い?)

007 ダイ・アナザー・デイ[終]

皆様、こんばんは。館長&代表の如瓶です。

また少し間を開けすぎてしまったけれど、タイトルに[終]と付けたのは、イラスト付き007シリーズについてのブログを最終回にするということで、映画のシリーズが終了するということではない。念のため。

テレビ東京での「007シリーズ20作品大放送!」の放映がとっくに終わってしまったのは、前回のブログでも書いたとおりだし、正直なところ、レコーダーを一時停止して、TVを前に座椅子に座って描くというスタイルにも疲れてきた。
私の使っている購入から7年以上経つT社のレコーダーは、15分で一時停止が解除されてしまい、熱中して描き進めている途中で、集中力が高まってきた頃に、地上波放送に戻ってしまったりすると、運筆を誤るほどではないけれど、少なからずギョッとするし、また再生して一時停止して……という段取りを経て、再び制作に戻る……という、これまで経験しなかった過酷な制作環境だったのだ。
そして、10年以上使い込んできた座椅子は、1時間も座っているとお尻が痛くなってくるし、そんな環境下で、集中力もとぎれとぎれになりながら制作を進めるのに、疲れた……という訳である。

イラストを鑑賞する皆様にはどうでもいい私の制作上の過酷さはさておき、今回選んだ作品は『007 ダイ・アナザー・デイ』。
本当は一つ前の作品の『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』も採り上げたかったのだが、テレビ東京が金曜日を中心としつつ、木曜日にもランダムに放映していたため、何作かを録画しそこない、『ワールド・イズ……』もその中の一作となってしまったのだ。
TVの放送としても20作目で最後だったし、見どころ満載の映画であることは分かっていたので、私のブログのシリーズとしても相応しいかと思えたのである。

この作品は、私が録画して最初から最後までを久々にきちんと観た007シリーズだった。
ティモシー・ダルトンのボンドには、好感をもっていたけれど、彼が2作に渡ってボンド役をやっている間に、何となく007シリーズは世界中の話題をかっさらうタイプの映画ではなくなったような印象を持つようになり、ピアース・ブロスナンにバトンタッチしてからは、あまり新しい映画を観なくなっていた私でも知っている俳優を起用して、巻き返しを図ろうとしている感じは伝わってきたけれど、初期のシリーズのファンだった私としては、関心の薄い映画になっていた。

が! 事前にTVで放映される事を知って、何気なく観てみる気になり、(ビデオデッキで)録画して観てみたところ、かつてのシリーズとは大きくテイストが変わっていたものの、大変見応えがあり、充分に楽しめる作品に生まれ変わっているように思え、驚いてしまった。
とにかく、ブロスナンに代わってからの一連の作品は、予算の大きさに比例する派手なアクションシーンが多く、007シリーズであることを忘れていても楽しめるレベルに達していて、それはこの作品にしてもそう。
そうかと思うと、ボンドのキザなセリフは健在で、ボンド・ガールのハル・ベリーとの出会いのシーンの掛け合いは、なかなか聞かせるし、新兵器・秘密兵器も多彩で、往年のシリーズの持ち味を損なっていない。
興行成績的にも、過去最高を記録したのだそうだ。

変化という点で一番印象的だったのは、東西冷戦が終結した現在、敵役として描かれているのが、日本の近隣国と思しき某国となっている点だった。英国の諜報部の活躍を描くためには、やはり新しい舞台が必要で、新兵器も進化していくように、敵役も変化したんだなあという感想を持ったのを思い出す。

キャスティングも、ジンクス役のハル・ベリーを始め、チョイ役で主題歌を担当したマドンナがお色気を振りまいたりして、贅沢な感じはあるが、敵役勢は幾らか地味。
画的に映えないと思ったのか、東洋人顔だったはずの敵方のボス・グスタフは、遺伝子操作により西洋人になりすますという理由で西洋人の役者に代わり、韓国系アメリカ人が演じる用心棒役・ザオは、スキンヘッドにカラーコンタクトを付け(同じく西洋人化しようとする過程の演出)、おまけに爆風で飛んできた幾つかのダイヤが顔に埋まっているという強烈な風貌で立ち回る点も印象的。
TV版のザオの声は、ガンダムシリーズのシャアを担当していた池田秀一氏が吹き替えていたのにも驚いた。

新兵器・秘密兵器にしても手抜かりはなく、クイッと回すと超音波を出し、装着した掌を当てるとガラスを粉々にしてしまう指輪などは、小物ながら随所で効果的に使われているし、ボンド・カーもBMWから英国車のアストン・マーチンに戻っただけでなく、ボディ全体に超小型カメラを仕込んであり、背景の映像をボディに映し出し、透明に見えてしまうという近未来的なシステムを装備し、これもまた効果的に使われていた。
このアストン・マーチンには、ショーン・コネリー時代のゴールドフィンガーにも装備されていた助手席のシート射出装置も装備されていて、まだそんな装備を? と思ったが、これも本来の目的(?)とは別な形で上手に使われていた。
この映画のこの車を見た知人が、「007にあんなSFはいらないと思う」と言っていたが、私は同じようなシステムが使われている戦場で使うスーツが出てくる話をゴルゴ13で読んでいたので、前述の指輪も含め、技術が高度になっているなあとは思ったものの、SFとまでは思わなかった。
まあ、ある程度実用化されているのかも知れないが、よくできた迷彩服程度の代物なのではないかと思うけれど。

車といえば、「俺たちだって同じようなのを持っているぞ」とばかりに、敵側もガトリングガンやロケットランチャーを搭載した車(ジャガーXKRのオープンカー)を用意していて、これを用心棒のザオが駆り、氷上のカーチェイスを繰り広げたりするところも斬新だった。ボンド・カーならぬザオ・カーといったところか?
氷上でのカーチェイスとなったのは、敵方の基地がアイスランドにあったからで、そんな寒いところにある基地で何故オープンカーを使っていたのかと理解に苦しむし、このカーチェイスのときのザオは、ゴーグルこそ着用していたが、頭はスキンヘッドのままで、すごく寒そうだった。アンタ、帽子も被れよ……と思ってしまった。
ボンド・カー同様にザオ・カーも英国車で、氷上で乗っても寒くないオープンカーであることを標榜したかったのだろうか?
…と、本当のところ、この運転中の寒そうなザオか、氷上のカーチェイスを描こうかと思っていたのだが、『女王陛下の007』で運転中の絵は描いたし、車も『ダイヤモンドは永遠に』で描いた。肖像権・著作権も気になったので、違うシーンを選んで描くことにした……のが、今回のイラスト。

ご覧の通り、ボンド・ガールであるハル・ベリーの初登場シーンを選んでしまった。
正直に書くと、ボンド・ガールとはいえ、人種がどうとかではなく、この人が出ている映画を探して観ようと思うようなことはない女優だったのだが、機械類や建物などをイラストにする事が多かったこの連作の中で、最後くらい有機的なフォルムのものを描きたかったというのが、理由の一つ。
そして、水面の描写を得意としている私だが、こんなふうにキラキラと水面が光っているところを描いたことはなく、これを少し黄色みのある紙のスケッチブック上で再現してやろうと思ったのが、選んだ理由の一つだった。
さらにもう一つ、雪景色(リビング・デイライツ)やロシア(ゴールデン・アイ)など、寒い雰囲気のイラストを2枚描いた後だし、今は季節も夏なので、温暖な雰囲気の絵柄にしたかったというのも理由の一つだった。
人物画としてみても、強い逆光で比較的小さめに収めているため、肖像権的な対処もできるし、スレンダーな水着姿の女性を描いただけに見えるので、著作権的にも問題は少なそうなのも都合が良かった。
スレンダーで、いくらか筋肉質だとはいえ、女性の水着姿などを描くのはそれなりに楽しいし、得意の水面を描くのだから、終始楽しく描けそうだと思っていたのだが、スケッチブック上での完成度や満足度は、想定の半分くらい。
水面のキラキラ感を強調するのが意図だったのだが、水面の明るい部分に少々色を乗せすぎてしまい、何度か一から描き直そうかと思ったが、人物の部分にしっかりと色を乗せてみると、どうにか水面の明るい部分として落ち着けることができた。
それにしても思っていた以上にキラキラしたところが際立たず、少々苦々しい記憶を呼び起こす最終作となってしまった。
ここに掲載した画像で見ると、縮小された画像となっているため、実物よりも少しだけキラキラ感がよく出ている感じに見えるが、私のイメージよりは数段劣る結果となった。
まあ、初めて描く光の状況だったのだが、縮小された画像で、概ね意図したとおりに仕上がったのだから良しとしたいところだが、個人的な達成感の低さを反映してか、Instagramでの「いいね」の伸びも良くなかったりして。
肖像権対策のために、似せる努力はかなり控えめにしたのだが、これがバッチリ似ていれば、もう少し「いいね」をもらえただろうか。

……と、作画に苦労しただけでなく、見どころ満載の映画を採り上げてしまったため、むしろ描くシーンを選びきれず、前回のブログから余計に日数がかかってしまった……と、言い訳をご容赦いただきたい。

現状、ブロスナンもこの作品を最後にボンド役を降り、ダニエル・クレイグに代わっているけれど、この新ボンドが私にはどうも……。ブロスナンまでで放映を終えてくれたテレビ東京に、放送時間の事情があるとはいえ、もう少しカットする部分を慎重に選んでほしかったとか、ランダムな放送スケジュールに対する不満のことは忘れ、感謝しておきたい……と、黙っていられませんでした。