13日の金曜美術館|アトリエ如瓶|ブログ・ヘッダ画像

このブログは、世の中の様々な「黙っていられん!!」ことを書くことを主旨としております。お客様や、お客様になるかも知れない方が読む可能性のあるブログではありますが、(書き手が勝手に決めたものながら)主旨を尊重し、常体文で記述して参ります。何卒お含みおきの上、お読みくださいますようお願いいたします。

追悼 ショーン・コネリー

皆様、こんにちは。館長&代表の如瓶です。

少し時間が経ったけれど、ショーン・コネリーの訃報をネットで知った。
俳優業を引退して久しいし、大雑把に把握していた年齢からして、驚愕するという感じではなかったけれど、テレビの映画で007シリーズの特別企画が組まれ、それに(ある程度)合わせてこれぞというシーンを選んで水彩でイラストを描き、Instagramにアップして……みたいな事があった年に訃報が届いたのには何かしらの数奇さを感じた。

小学生の頃から、一番憧れた外国人俳優だったし、007シリーズの印象が強すぎて、それ以外の映画はあまり観なかったけれど、やはり目指せど届かないことが明らかな分、余計に憧れた大人の男性だった。
私自身が歳を取るにつれ、イメージと違う情報が耳に入ったり、いい歳になって観る007シリーズは、幾らか色褪せてみえるというか、物足りなさを感じたりもしたけれど、映像の中で躍動する彼は、やはりカッコよかった

ジェームズ・ボンドのイメージが固定化されるのを嫌がっていたりなど、スターなりの苦悩はあったろうけれど、過去のシリーズを制作したのとは別な映画会社からジェームズ・ボンドとして復帰したりしたし、イギリス人にして日本人の平均寿命を上回る歳(90歳)まで存命だったのだから、悔いなく人生を終えられたことだろうと推測する。
最晩年は認知症であったことも、併せて報じられたが、事実とはいえ聞くのが辛い情報であった。

と、そんな訳で、追悼の意を表すべく、約3カ月ぶりに映像を一時停止するスタイルで、似顔絵を描いた。
これまで映画の一時停止したシーンを描く場合、少なくとも肖像権に抵触しないように(全くしてないのもあったけど)して描いていたのだが、顔の半分とか判別しにくいほどに小さく描いては追悼にならないので、今回は堂々と顔を描くことにした。
この間の連作において、堂々と顔を描いた場合であっても、ショーン・コネリーほど顔を知られていない人を描いたので、あまり似なかったとしてもプレッシャーは少なかったのだが(それでいいのか?)、今回は、似ている以上に、私の感じる彼のカッコ良さをバッチリ描きたかったので、シーン選びの段階から緊張を禁じ得なかった。

ご本人も、シリーズ中では一番好きな作品だったという、『ロシアより愛をこめて』の、ダニエラ・ビアンキとのキスシーンにしようかとも思ったが、それではあまり追悼っぽくない気がしたし、二人分の肖像権に抵触する恐れがあるので、ジェームズ・ボンドとして最初に顔が大きく映るシーンを選んだ。
Bond, James Bond.」という、後の作品でも登場する自己紹介のセリフも、このシーンが最初だった訳である。
書かなくて良いことなのかも知れないけれど、テレビの特別企画で放映された『Dr. NO』では、ストーリー上の重要性が低いとはいえ、バッサリとカットされていたのに気付いていたので、DVDをレンタルして描く羽目になってしまった。

ショーン・コネリーの顔は、高校の頃に前出の復帰作のパンフレットを見て描いて以来だったのだけれど、その時の印象通り、描いて見ると本当に難しい顔立ちをした人だ。
このシーンの時で32歳だったそうだが、それとは思われない貫禄というか老け具合というか……ともあれ、顔の表面の変化が多くて、それをキチンと捉えていくのが難しい。
人の顔を描く場合、子供よりは大人が、女性よりは男性が、凹凸がハッキリしていて描きやすいとされるのだが、この人の場合、少しでも形をとり損ねると、たちまちらしさが失われ、ただのムサいおっさんの顔になってしまうのが恐ろしいところ。

レンタルやら、顔立ちの難しさなどの障害を乗り越え、どうにか投稿しても良いと思える段階まで仕上げたけれど、やはり魅力を描ききれなかった気がしていたのだが、Instagramでの反応はまずまずで、どのシーンだか分かったという方(スイス人)からコメントを貰ったのはなかなか嬉しかった。

本当に追悼以外でこのイラストは使わないので、関係者の皆様、私を訴えないでね……という点も含めて、ファンとして真摯に追悼したい気持ちを黙っていられませんでした。(お、今日は少し短い?)

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