13日の金曜美術館|アトリエ如瓶|ブログ・ヘッダ画像

このブログは、世の中の様々な「黙っていられん!!」ことを書くことを主旨としております。お客様や、お客様になるかも知れない方が読む可能性のあるブログではありますが、(書き手が勝手に決めたものながら)主旨を尊重し、常体文で記述して参ります。何卒お含みおきの上、お読みくださいますようお願いいたします。

007 ゴールデンアイ

皆様、こんばんは。館長&代表の如瓶です。

ウイルスってやつは、人間の都合通りに終息してくれないものだなあと思いつつ、我々が知らされ、追わされているのはどうとでも扱える数字なのであって、世界中に行き渡る量のワクチンが出来ない限りは、自衛が一番なのかなあと思いますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

引き続き、007シリーズのイラスト付きブログを進めていこう。
今回は『007 ゴールデンアイ』。
2作でボンド役を降りたティモシー・ダルトンに代わり、ピアース・ブロスナンが新ボンドとなった最初の作品である。
ピアース・ブロスナンについて先に書くと、映画のシリーズ全体を考えたときに、かなりボンド像にピッタリ来る役者だったのではないかと、私は見ている。
二枚目であることもそうだが、プレイボーイのボンドに不可欠なキザなセリフもよく似合うし、身のこなしも悪くない。
一見、ひょろっとした優男に見えるが、分厚い胸板に胸毛を備え、野性的な魅力ものぞかせるし、タキシードなど着ていてもよく似合う。

近年の映画はどれもそうだが、銃の扱い方も本物っぽい。
銃の扱いは、映画にそういう部分にまでリアリティが求められ、キッチリと指導があったものと思われるが、今にして思えば、ティモシー・ダルトン以前のボンドも、実銃を撃ったことがないためか、撃ったときのリコイル(反動)がないかのような撃ち方をしていた。
もっともそれに気付かされたのは、ブロスナンがピストルを構え、索敵しながら部屋へ入っていくようなシーンの動きなどを見ていると、プロだか専門家だかの指導なしには出来ない動きをしているように思えたからであって、役者の巧拙ではないのだと思うけれど。


銃器について言えば、いかにもガッチリしたショーン・コネリーなどは、ワルサーPPKのような小ぶりな拳銃一丁で戦う様子が絵になるが、ブロスナンは機関銃を撃たせてもなかなか絵になる。
ともあれ、これまでのボンドの良いところを全て兼ね備えているかのようなボンドだと思えるのだ。

国籍はアイルランドだそうで、イギリス人ではないけれど、オーストラリアよりは近い国だし、まあ大きな問題ではない。

さて、この作品にしても、低迷傾向だった興行成績へのテコ入れやら、製作者が代わったりやらで、雰囲気も大きく変わった印象を受けた。
ボンド・ガールのナターリアに扮したイザベラ・スコルプコは、ロシアのプログラマーで、いわばITのスペシャリスト。随所に端末を操作するシーンが出てきて、パスワードを破ろうとしたりなど、このシリーズも現代に近くなってきたなあという感じがする。
ボンドの上司であるM役も、ジュディ・デンチという女性に代わり、男女同権の社会を反映させたかのようだが、これは実際に英国の諜報機関のトップが女性であることが発覚したために、それに倣おうとしからだそうだ。
この映画で支給されたボンド・カーは、なんとBMWでドイツ車。この選択についての記述は見当たらなかったが、これもイメージ刷新なのか、英国車にめぼしい車がなかったのか、これも意外な変化ではあった。
このころの007シリーズは、東西冷戦時代を引きずっている感じがあり、前時代的と評されていたようだが、そうした印象を一新したいという意図が伺えるかのようだ。
この映画でも、敵役にロシアはいるけれど、率いているのはMI6やボンドに恨みを持つ元英国のスパイだし、単純な東西冷戦ではない構図になっている。

とにかく、もともと壮大なスケールで描かれてきたシリーズだったけれど、さらにスケールアップされた感じがした。冒頭のカーアクションも、かつてのボンド・カーのアストンマーチンDB5対フェラーリF355と、車が好きな人なら「おっ!」と思う豪華さ(さすがにクラッシュシーンはないけど)。
また、ストーリーの中盤では、ロシアのサンクトペテルブルグの市街地で繰り広げられる戦車によるカーチェイスシーンでは、連れ去られようとするナターリアが乗る車を追いかけ、車でならやっと通れる建物内の通路を物ともせずに破壊し、前を塞ぐパトカーもラクラクと踏み潰す。
さらには、大きな銅像の台座に戦車を突っ込ませて破壊し、ダルマ落としの要領で戦車の上に銅像が乗っかり、そのまま追跡を続け……と、カーチェイスシーンも売りのこのシリーズの中でも、出色の迫力だった。

……というわけで、こんなシーンをよくぞ考えた、よくぞ撮ったというこのシーンを、今回は選んだ。

このシーンについては、前述のとおりだが、画面右下に、ナターリアが乗る敵の車も入る構図にした。
これもWiki情報だけれど、破壊の限りを尽くした市街地はセットだったそうだが、シリーズで初めてロシアでのロケの許可をとったそうで、リアリティを追求しているところも凄いと思うし、戦車で破壊するための市街地を作ったりするあたり、制作側の意気込みが感じられる。
実際に、ロケで撮った映像が使われている部分は少ないそうで、それは無理もないとは思うけれど、銅像を乗せたままの戦車が市街地を疾走するという超現実的な光景は、前代未聞であると同時に、このシリーズのユーモアも盛り込まれていて、非常に印象深かった。
まだ観ていない方は、この卓抜したアイディアや迫力を、是非ご覧頂きたいと思う。

作画上は、銅像の台座の瓦礫などが車体に散らばっているだけでなく、もともと複雑な形状をした戦車が疾走しているため、細部がよく見えず、車体のクローズアップが映っている別なシーンを見て細部を描き起こしたり、銅像らしい色を再現するのに苦労したり……と、なかなかの労作となったが、戦車が形になってきて、信号機など街並みのディティールを着手する頃には、楽しんで描けた作品でもあった。

さて、映画の話に戻ると、ボンド像にピッタリのブロスナンに加え、様々な刷新をして新しい世界観を構築すると同時に、ドラマチックで迫力のあるティナ・ターナーのオープニング曲や、ストーリー中に盛り込まれるユーモアあふれる会話や設定など、変わらない魅力も備えて、ボンド映画復活を果たした映画となったのではないかと、私は評価している。

登場から中盤まで、黒タイツを履いてはいるものの、丈が短めのスカートで美脚を披露してくれたナターリアの活躍も、個人的には見どころだった。

……と、このシリーズも17作目を採り上げる段階まで来て、ボンド映画はまだまだ残っているけれど、あと1回で最終回にしようかなあと思っていることも、黙っていられませんでした。