13日の金曜美術館|アトリエ如瓶|ブログ・ヘッダ画像

このブログは、世の中の様々な「黙っていられん!!」ことを書くことを主旨としております。お客様や、お客様になるかも知れない方が読む可能性のあるブログではありますが、(書き手が勝手に決めたものながら)主旨を尊重し、常体文で記述して参ります。何卒お含みおきの上、お読みくださいますようお願いいたします。

007 私を愛したスパイ

皆様、こんばんは。館長&代表の如瓶です。

いつまで電気の供給を受けられるやら……と思いつつ、少し間を空けての投稿となります。
さておき、TVでの007シリーズの放映はとっくに終わってしまったけれど、ブログの方は可能な限り続けます。イラスト付きのブログは、思っていたより大変……。

さて、今回採り上げるのは、ロジャー・ムーア3作目で、シリーズ10作目の『007 私を愛したスパイ』
放映順では『007 黄金銃を持つ男』をすっ飛ばした形になるが、個人的には、吸血鬼役で有名だったクリストファー・リーが出演しているのと、度肝を抜くカーアクションが一部と、黄金銃がどんな代物なのか以外に見どころが少なく、つまりは絵にしたいシーンも見つからなかったからだ。『黄金銃……』がお気に入りだった方、ごめんなさい。

一方、採り上げる『私を愛した……』だが、これは私が初めて劇場で観た007シリーズだった。
公開は私が小学校4年の頃で、子供向けのアニメ映画以外で、初めて映画館で観た映画で、夏休み前に学校で割引券が配られたので、友達たちと観に行こうという話になったのだ。
今にして思うと、セクシーな格好をした女性が多数出てきて、ベッドシーンも含まれる映画の割引券を、よくぞ小学校で配ったものだと思うけれど、その頃の私には充分に楽しめ、胸のときめく映画だった。
この作品をきっかけとして、007シリーズを遡って観たり、劇場へ足を運ぶようになった、私としては記念碑的な作品なのだ。

Wikipediaによると、実際映画としてもシリーズ中最大のヒットを記録したようだし、セットも大掛かりだし、秘密兵器の目玉であるボンド・カーで、潜水艇に姿を変えるロータス・エスプリや、これでもかと盛り込まれるアクションシーンなど、今観ても見応えは充分。セットも壮大だし、ボンド・ガール陣も素晴らしい。
ロジャー・ムーアの一番のお気に入りな映画だったそうだが、肯ける出来栄えだと思う。

過去の作品と一味違う魅力は、ボンド・ガールがボンドと協力しあって任務に当たるところ。
ボンド・ガールを演じたバーバラ・バックアーニヤ・アマソワ役)もなかなかの美人だし、序盤の出し抜き合いも面白いし、協力し合うよう命じられた際の、知恵比べの掛け合いも洒落ている。
少しネタバレだが、もともとKGBのスパイだったアーニヤは、ボンドに(やはりスパイの)恋人を殺され、復讐を誓っていたところに、任務上ボンドと出会い、「任務が終わったら貴方を殺す」と宣告するものの、任務を進めるうち、ボンドに惹かれ……と、ボンド・ガールがただのお飾りではない存在意義があったのも、この作品の傑出したところではないだろうか。

敵方のボスに雇われている大男の殺し屋・ジョーズは、鋼鉄の歯により噛み付きを武器とし、その大男にして終始無言なキャラクターは、シリーズ中でも出色の存在感。ユーモラスな一面もみせるものの、登場するたび小学生の私には怖くてしょうがなかったのだが、この後の作品となる『007 ムーンレイカー』では、その強い存在感ゆえか再登場するものの、ただの道化役と成り果てていたのは、少し悲しい。

新兵器・秘密兵器も、このシリーズの見どころであり、様々な仕掛けのある腕時計が登場するけれど、この作品でも、冒頭にボンドが着けている腕時計に指令が届くシーンがあり、文面が打ち込まれたテプラのシールみたいなやつが、チキチキチキ……と出てくる。小学生の頃は「すげえ」と思ったけれど、今となっては中学生でも持っている携帯電話やスマホのメールのほうがハイテク。そもそも、時計のムーブメントだけでぎっしりのはずのところに、テープを打ち出すような仕掛けをするのには無理を感じる。

潜水艇化するロータス・エスプリにしても、海へ飛び込む直前は、車体の裏側が黒いのに、水中に入ると白くなっていたりするし、そもそもタイヤが格納されたのち、尾翼が可動する仕掛けのついたフタが出てくる仕掛けなど、物理的に無理そうな気がするのだが、腕時計同様に、子供心には夢膨らむ乗り物だった。
どんな映画でも、観たときの年齢や、改めて観た年代によって印象は変わると思うけれど、そうした子供だましな感じも、どこか微笑ましい

微笑ましさはさておき、大人になった立場で、少々ツッコミを。
キャロライン・マンロー扮するナオミが操縦する機関銃付きのヘリに追われ、ボンドとアーニヤが乗るロータス・エスプリが海へ飛び込む間際、「泳げるかい?」とトボけるボンドに返事もできず、アーニヤは驚愕の表情を見せ、恐怖に声を上げる。
ところが、潜水艇に姿を変えたロータス・エスプリに仕込んだ対空魚雷(というのか?)で、ナオミのヘリを撃ち落としたあと、更に水中でも敵襲を受け、しばらくはボンドが車体に仕込んだ武器で応戦するのだけど、秘密にして最新兵器であるはずなのに、アーニヤは勝手に海底にゴトリと落とす爆雷を操作して応戦。
先日の放送ではカットされていたので、大雑把に書くと、「何故操作できる?」とボンドに聞かれたアーニヤは、「本国の資料室でこの車の仕様書を見た」と返す。
暗に、当時のソ連の諜報力をもってすれば、秘密兵器でも何でもないと言っているかのようではあるが、それが本当だとしたら、アンタ、仕様を知っていたのに、海に飛び込むときに何故ビックリした?

もう一点。
海中で敵方を返り討ちにしたのち、車に戻ったロータス・エスプリが、観光客で賑わうビーチに上がってくるシーンで、何事かと群がってきた観光客に対し、アジくらいの大きさの魚を、ボンドが窓の外に捨てて見せるシーンがあり、劇場で見た私は友達とともに大いに笑ったのだけれど、今思うと、海中での戦闘の末のダメージであのサイズの魚が車内に入ってくるほどの穴が空いたのだとしたら、車内で溺れていたはずじゃないのか?
と、またWiki情報だけれど、このシーンは、制作側でも賛否が別れ、魚の有り無しで見比べて、反応の良かった魚有りが採用されたそう。
公開に至るまで、過去になかった紆余曲折があった作品のようだが、魚有りのシーンを採用したことに、アクションとしてのリアリティより、「微笑ましい子供だまし」をテイストとして選んだということであり、そこに制作側の余裕や勢いを感じてしまう。

このブログのシリーズで、毎回触れている音楽のことにも少し触れると、オープニングで流れるカーリー・サイモンによる女性ボーカルによる『Nobody Does It Better』は、過去作と比較して、かなり地味な印象だが、海外では人気が高いらしい。
個人的には、挿入曲(?)にあたる『ジェームズ・ボンド ’77』というタイトルの曲があり、旧来のジェームズ・ボンドのテーマに代わるテーマ曲扱いだったはずで、元のテーマ曲よりカッコいいくらいだと思っていたのだが、私の知る限り、この作品中でしか使われていないようだ。

さて、今回はどのシーンを描いたか。
ロータス・エスプリについて結構な行数を描いてきたので、海に飛び込むシーンでは……と思った方がいるかも知れないが、このシーンでした。

アーニヤとともにロータス・エスプリに乗ったボンドを殺す目的で、突如現れたヘリから、ボンドと目があったナオミが、ウインクをしているシーン。それを受けて、ボンドはニッと笑顔を向ける。
劇場で観たときには、命の奪い合いをしようというのに、陽気に挨拶を交わしている様子に笑ってしまったけれど、この印象に残るシーンをいい歳になって観てみると、キャロライン・マンローのウインクの凄さの方に衝撃を受けてしまったのだ。
ナオミの初登場シーンは、敵方の持つ海上の基地に招待するため、ボンドとアーニヤを、モーターボートで迎えに来たシーン。
薄手の長いローブを羽織っているものの、小さいビキニで圧巻のプロポーションを披露し……と、小学生には刺激の強すぎる格好で現れる。つまり、そもそもセクシーさ全開のキャラクターなのだ。

以前イラストにも描いた、『女王陛下の007』のボンドガールだったダイアナ・リグについて、
「激しいカーアクションのシーンであるにも関わらず、のべつ口の脇からちらっと舌をのぞかせていたのがセクシーだった」
と、書いたように、キャロライン・マンローも、このヘリを操縦するシーンでは常に笑みを浮かべて余裕綽々といった風情で、見事なプロポーションはほとんど映らないながら、ビキニのシーンよりもセクシーに見えた……というわけで、肖像権の問題も知らんふりで、このシーンを描いてしまった。
個人的には、世界一セクシーなウインク……と評したい。「あなたを殺すわよ」という死のウインクではあるけれど。

ところで、このナオミを演じる女優について、大人になってからの推測したのだが、よく焼けた肌に日本人っぽい名前から、ロシアに戦争で勝った国というリスペクト時々日本人の名前を付けられるというトルコ人なのでは? ……と思ったが、先出のように名前は英語圏のもので、しかもれっきとした英国人であることが分かり、驚いた。(と、書きたかったので、普段描く人物画より、しっかりと濃い目の肌色にしました)

イラストから伝わるか自信がないが、最近の目立つところでいうとナジャ・グランディーバのようなガッチリしたメイクを目元に施しているのだが、とにかくメイクした女性をメイクしたことが分かるように描くのは、意外と難しい
しかも、眉よりの瞼が終わる辺りにもラインを引いていて、こんなメイクをした女性を、実際に見たことがない。
作画にあたっても、水彩では避けたい修正を何度も施したが、本当に女性の顔にメイクをしているかのような気分だった。
今の自分の視力で、何度も映像と見比べてみたけれど、形の狂いは感じられず、どこに物足りなさを感じるのか分からず仕舞いだった。老眼も進んできたし、こういう絵を描くには眼鏡が必要なのかなあ……と思ったりもした。

イラストとしてまずまずの完成度を得たと思うのだけれど、映像から感じるキャロライン・マンローのセクシーさを、今ひとつ再現できなかったのは大いに心残り。本当に描き直すべきかと悩んだ。
しかしながら、先行してUPしたInstagramでは、このイラストのUPから間もなく、すごい勢いで「いいね」が付き、フォロワーも10人近く増えた。
おいおい、俺の目指すところはこんなもんじゃなかったんだよ〜〜! と、黙っていられませんでした。