13日の金曜美術館|アトリエ如瓶|ブログ・ヘッダ画像

このブログは、世の中の様々な「黙っていられん!!」ことを書くことを主旨としております。お客様や、お客様になるかも知れない方が読む可能性のあるブログではありますが、(書き手が勝手に決めたものながら)主旨を尊重し、常体文で記述して参ります。何卒お含みおきの上、お読みくださいますようお願いいたします。

ゴミ袋有料化について

皆様、こんばんは。館長&代表の如瓶です。

4月1日から、国分寺市や東村山市などと歩調を合わせる形で、ごみ袋が有料となった。他の都内のエリアでも、23区外の市のほとんどは有料化されているらしく、近隣の市と同等の40リットル10枚で800円という料金である。
近隣の市と比べて、小平市は遅い方だったとはいえ、逃れられない出費が増えるのは、やはり腹が立つ。

不景気が続く昨今に、消費を活性化させようと努力するのが行政のあり方であるはずなのに、一回ごみを捨てるたびに数十円一緒に捨てているのと同じなわけであって、ごみ捨てに課金されているということであり、生活していく上で絶対に必要となる出費なわけだから消費を冷え込ませるのは明らかなはずである。
市の意図としては、ごみの減量化のために協力してほしいというのが建前のようだが、消費が活性化すればごみは増え、ごみを減らそうとするならば消費の不活性化につながると思う人は市議会の中にいなかったのだろうか。
消費と背中合わせの関係にあるのがごみであって、消費とごみの量は比例の関係にあって、ごみ捨てに費用がかかるのは消費増税と同等の効果があることが予想される。
近々消費税も10%に引き上げられる予定だけれど、安定した財源になる半面、私を代表とする低所得者層に対して大きな負担となる逆進性が問題視されており、この点ではごみ袋の有料化も同じように響いてくるわけである。ますます腹が立つ。

そうは言っても、ごみは捨てなくてはならない。
私自身、20年くらい前に、黒いごみ袋は焼却時に焼却炉を傷める高熱を出すので、東京都推奨のごみ袋に変え、きちんと分別せよというお達しがあったことを受けて、軽視してはいけない問題だと思ったので、当時の新しいごみ捨てのルールを学習し、キチンと守っていたと思う。
当時から、缶詰に貼ってあるラベルが異質なものならば剥がし、ペットボトルのラベルやキャップも別にするとか、手間を惜しまずに分別していたし、更に細かいところでは、当時配布されていた「ごみ捨てマニュアル」みたいなものに「郵便物の封筒の窓に貼られた透明のフィルムも可燃性資源である封筒から剥がして分別する」と書いてあればそれに従ったし、煙草のパッケージのフィルムなどでさえ不燃ごみとして捨てるくらい、自分なりに徹底してやっていたつもりだった。
そうして20年近く、ごみの分別にも神経とエネルギーを費やしてきたのだが、今もそうなのだろうかと市役所のサイトを見てみたところ、手で容易に丸められる程度のプラスチックであれば、可燃ごみとして捨ててよしと書かれており、愕然とした。
つまり、お菓子の袋とか、スーパーの惣菜のペナペナの透明な容器なども、可燃ごみとして捨ててよいというのだ。今までの長きにわたる労力は何だったのだろうかと愕然としたのが記憶に新しい。

で、今回のごみ袋が有料化されるに当たり、とりあえず使用頻度の高そうなものから購入しようと、スーパーの売り場を見てみると「プラスチック製容器包装」という種類のものもあり、「は?」と思った。袋のパッケージなどを見てみても、具体的にこの袋に何を入れて捨てればよいか書かれていないので、
「また捨て方が変わったのか?」
と思って再び市役所のサイトを見ると、「平成31年4月からの新しいごみの出し方」とリンクがあったので閲覧してみると、袋が変わる、地区割りが変わる、収集回数が変わる、分別が変わるなど、かなり大幅に変更されていることがわかった。そこまでは良いとしよう。

収集回数が変わることについては、サイト上に閲覧できるページはなく、変更となった地区別にPDFファイルが用意されており、これをダウンロードして収集日を確認せよ……とある。
これだけ大きな変更があったというのに、ダウンロードしないと収集日を確認できないような状況のままごみ捨てのルール変更を断行したのかと、これまた愕然とした。
私のように、日々PCに向かう生活をしている立場ならば、手間だなあと思いながら確認することができるが、PCのない世帯、スマートフォンすら持っていないお年寄りなどへの周知はまるで考えていないかのようだ。

加えて、初めて新しい決まりに従ってゴミを捨てようと思うときに、今日捨ててよいのはどれで、駄目なのはどれかと思って確認しようとするのが普通だと思う。
ところが、それについてもサイト上では記載がなく、知りたければPDFファイルをダウンロードして確認せよとばかりに「分別をよりわかりやすく」というタイトルのファイルが用意されているだけ。
渋々ダウンロードしてみると、「IH調理器・電磁調理器」が「粗大ごみ」、「ICカード」が「燃やすごみ」、「ICレコーダー」が「燃やさないごみ」などと50音順で全48ページ中46ページにも渡って品目ごとにどれがどの分類に当たるかが書かれてはいるものの、今日何を捨ててよいかを一覧できる資料は無し。内容を覚えるまでその都度このファイルを開き、確認せよというのだろうか。
前述のように「分別が変わる」と書かれた部分に、変更点や大まかな区別については記載があるが、46ページ分の細かい区別が書かれている以上、確認せずに捨てるには不安が残る。
最初の「あ」から始まるページだけ見ても、「ICカード」が「燃やすごみ」で、「アイスの容器(プラスチック製)」は「プラスチック製容器包装」と、今までの感覚では差異が分かりにくいものまでも分別する必要があるようだ。
もっと調べると、「ビニール袋」と「ポリ袋」が別物であることを私は知っていたが、ほとんどの人は同じものとして認識していると思うのではないかと思えるし、別物であるためか、
「ビニール袋=プラスチック製容器包装」
で、
「ポリ袋(プラマークのないもの)=燃やすごみ」
と、やはりごみとしても別種。分かりにくすぎるし、この細かな違いも、PDFを開くことが困難な立場の人には認識できないのだ。タイトルに「分かりやすく」と付すれば済むというものではない。


こうまで段取りがガタガタだと、本当にここまで細かい分別を、本当に市は必要だと思っているのかどうかが疑わしくなってくる。
さらにサイトを見ていると、昨年(2018年)の9月に、説明会があったらしいが、そんな通知がどこに来ていたのか知らないし、15、16日は土日だが、17〜20日は平日と、単身世帯には不親切なスケジュール。本当に分別を徹底してほしいなら、どれだけ費用がかかっても、ゴミ袋有料化に関しての情報を全世帯に投函し、なおかつ集積所のごみ収集スケジュールを貼り替えるだけでなく、どの種類のがいつ収集すると明記し、ごみ袋そのものにも入れるべき品目を明記するなどして周知を徹底すべきではないだろうか。
その手間や費用を惜しんでいるくせに市民に経済的な負担をかけるなど言語道断だと思う。

何年前だったか(調べたけど記事見つからず)、埼玉の某市でリサイクルに回すはずの不燃ごみを正しく処分していなかったという事件があったことを私は覚えているし、こうしたごみをめぐる不祥事が比較的近いところで起こったことを考えると、自分の住む市でも起きるのではないかと思え、ここまで手間と負担のかかる分別に真面目に付き合うべきなのだろうかと思えてくる。

先日やっと、「燃やすごみ」の日に、買ったばかりのごみ袋を集積所に持っていったが、集積所には旧来の曜日別の収集日が書かれたプレートが貼られたままだし、全てが「燃やすごみ」用の袋ではなかった。

改めて経済面での負担について考えると、寄生生物やウイルスなどは、宿主が死なせるような寄生をしたら自らが死に絶えることになるので、そうならないようにするくらいの知恵があるそうだが、消費税も増税し、ゴミ袋も有料化と、納税者は瀕死となる世の中にしようとしている市も国も、寄生の知恵すら持たず滅びようとしているかのようだ。

以上、平成最後の夜に黙っていられませんでした。

お気に入りのナッツ

皆様、こんばんは。館長&代表の如瓶です。

幾らか唐突ではあるけれど、私はナッツ類が大好き。
ピーナッツからアーモンドからピスタチオからマカデミアナッツから、一般的に日本で手に入るナッツは大抵好きである。

世間的にも個人的にも不景気が続くなか、列記したアーモンド以降のナッツにはなかなか手が出ず、ピーナッツ類にお世話になっていることが多いのだが、最近ものすごく気に入っているピーナッツを紹介したい。もうパッケージをデカデカと収めた写真を公開することに躊躇などしていられない。
商品はこれ。

クレイジーソルト塩バタピー
クレイジーソルト塩バタピーのパッケージ

この「クレイジーソルト塩バタピー」は、普通のバターピーナッツに少し飽きたなあと思っていた昨年の初冬くらいに見つけたと記憶している。
最近のナッツ類は、猫も杓子も塩分控えめで、何か物足りなさを感じていたところが、バッチリと塩気を感じさせる味付けとなっており、小腹がすいたときだろうと、お酒のお供だろうと、止まらなくなってしまうほどで、あっという間に食べ終えてしまう。

数年前に大手コンビニエンスストアのオリジナルブランドのバターピーナッツを食べたときに、その芳醇な香りと新鮮さに驚き、作り方が違うとこうも違うものかと驚いたが、このナッツとの出会いはそれ以来の衝撃だった。
パッケージ表面に、「クレイジーソルト」と「塩バタピー」と、2箇所「塩」の意味の言葉が使われているのは屋上屋というものだし、商品名の上部に記載されたアルファベット表記に「Krazy」とあり、Crazyじゃないの? と思ったりもするが、調べてみるとアメリカで製造された調味料に岩塩とスパイスと香草を調合したKrazy Mixed-Up Saltというのがあるそうで、それを用いた商品ということのようだ。
確かにパッケージにも「岩塩×ハーブが……」と書かれているし、調味料として売られているクレイジーソルトの筒の写真が載せられており、同じロゴが使われているので、コラボ商品ということになるのだろうか。

一般に岩塩だけでもワンランク上の調味料とされているところ、ハーブやらスパイスやらが含まれている分、とにかく風味豊かで、本当によくできたバターピーナッツだと思う。すぐに無くなってしまうので、もっと大袋で売って欲しいと思う。

皆様も是非……と、お薦めしたいところなのだが、どうしたことかコンビニエンスストアのナッツ類の棚から姿を消しつつある。コンビニエンスストアは、少々ヒットした商品でも、頻繁に商品を入れ替えるので、契約期間みたいなものが切れたのだろうか。
ブログに紹介したくて、どうにか見つけたヤツのパッケージ写真を撮影したのだけれど、本当に姿を消してしまうのだろうかと思うと、かなり不安だ。

近隣のスーパーで、ミックスナッツ版のを見つけたけれど、こちらはお値段も3倍近くなるし、「クレイジーソルト感」が少し希薄。ナッツ本来の味わいを活かすために調味料を控えめにしているのだろうか。まあ、ミックスナッツ版も瞬く間に食べてしまったけれど。(汗)

私としては、懐に優しく、味わいのパンチ力の強いバタピー版をお薦めしたいので、召し上がってみたい方は、急いで入手されることをお薦めしたい。カップ麺などもそうなのだろうけれど、気に入った商品がいつまでも棚に残っていると思ってはいけないのがコンビニエンスストアだ。

しっかし、私の食レポというかグルメというか、その手の記事はあまり読む方の役に立たないねえ。

以上、黙っていられませんでした。

元号考

皆様、こんばんは。館長&代表の如瓶です。

今日が平成の次の元号が決まった日であったことは、もうウンザリするくらいに報道もされていたので、ご存知ない方もないだろうけれど、新元号である「令和」について、私が見たTVのアンケートなどでの反応は、どちらかというと冷ややかで、「しっくり来ない」とか「違和感がある」とかが多勢だった。

昭和生まれの私にとって、今回が2度目に経験する改元だけれど、平成に変わったのは私が大学3年のときで、
「ねえ、今度の『平成』ってどう思う?」
「うーん、イマイチだなあ」
「そうかなあ。俺は無難にまとまっていていいと思うよ。画数も少ないし」
と、当時付き合っていた彼女とそんな話をしたのを思い出すが、平成もそうだったように、評判が冷ややかなのは今だけで、すぐに単純な時代の名称となり、良いも悪いも気にならなくなっていくだろうかと思っている。

私なりに思いを馳せると、平成という時代の日本は、未曾有の災害が度重なったり、犯罪史上に残る凶悪な犯罪が頻発したり、バブル経済崩壊後に長い不況に見舞われたりした一面はあったものの、いろんなものがどんどんゆるくなっていった時代だったと考える。

行政でも規制緩和の流れがやたらと目についたし、ボーダレスという価値観もいろんな所に波及していた感じがするし、ゆるさの例として挙げるのは少し問題があるかも知れないが、ゆとり教育が本格化したのも平成になってからだった。批判する意図は全く無いけれど、性の境目の曖昧さが許容される世の中になったと思うし、そうしたゆるいムードを象徴するかのように、どの県にもどの市にも「ゆるキャラ」が擁立されたりなどして、平成すなわち「ゆるゆる天国」と言っていいんじゃないかとすら思う。

そんなゆるさと並行して、パソコンやインターネットが普及し、職場でも自宅でも、生活は劇的に便利になり、個人が様々な情報を発信できるようになったのも平成だったが、言いたい放題の罵詈雑言やクレームも乱発されたし、インモラルな振る舞いを収めた動画が物議を醸したりなど、どこか風紀の乱れが感じられたりもした。
罵詈雑言やクレームが何故ゆるさなのかというと、自分を律する忍耐力や、まあ良いじゃないかと思う許容力や、こんなことをしたらどうなるかという想像力は、世相のゆるさゆえ失われていったからではないかと思えるからである。

とまあ、平成ゆるゆる説を展開してきた私が、新しい元号の「令和」についてどう思っているかというと、「締まった感じがしていい」という印象を持っていたりする。
発表された由来は度外視して書くけれど、「令」という字は、命令の「令」であり、律令の「令」である。ビシッと言いつけるとか、決まり事という意味があったりする半面、「立派」という意味もあり、敬称として使われる字でもあり、ゆるかった平成のあとに使われる元号として「令」の字が使われていることに、私は好感をもっている次第である。

「ゆるい」のはそれほど悪いことではないと思うし、ストレスを感じない状況であるのも魅力だけれど、「令」な雰囲気のなかに散りばめられてこそ「ゆるさ」が効力を発揮するもの。
別に平成がそうであったように元号の字面で世の中が変わるものではないけれど、喫煙の規制とか短絡的でギスギスした空気になるようなものは排除してほしいけど、世の中もう少し締まった空気が漂っていてもいいと思う。

以上、4月1日のうちにUPしようと思っていたけれど、2日になってしまい、自分ももう少し「令」な感じが足りんなあと思いつつ、折角の改元なので黙っていられませんでした。