13日の金曜美術館|アトリエ如瓶|ブログ・ヘッダ画像

このブログは、世の中の様々な「黙っていられん!!」ことを書くことを主旨としております。お客様や、お客様になるかも知れない方が読む可能性のあるブログではありますが、(書き手が勝手に決めたものながら)主旨を尊重し、常体文で記述して参ります。何卒お含みおきの上、お読みくださいますようお願いいたします。

今年の目標

皆様、こんばんは。館長&代表の如瓶です。

さて、1月もあと1日を残す頃になって、今年の目標を日記に書くでもないのだけれど、1月の中旬に差し掛かった頃くらいに風邪をひいてしまい、その後も少々無理して仕事をしてしまった関係上、下旬に差し掛かるくらいまでダウンしていて、ブログを書く余裕がなかったのだ。
そもそも、昨年後半くらいから、かつてないほどに創作意欲が減退していて、ますますブログを書ける状態ではなかったのである。

本業である絵描きとしても、デザイナーとしても誠に深刻な事態なのだが、この状態から抜け出すためには、絵描きとしては何かしらのインスピレーションを得るか、デザイナーとしてなら実力をいかんなく発揮できる仕事に恵まれるか、私生活としては激しい恋に落ちるとか……などの、「望ましい変化」ってやつが必要なのかも知れない。
50過ぎて、激しい恋に刺激を求めるのもどうかとは思うけれど。

さて、本題。
今年の目標といえば、アトリエ如瓶としての業績向上だとか、自分自身の経済的な向上とか、まあ今更書かなくても良いようなことばかりではあるけれど、具体的で達成しやすそうな目標を書くならば、このブログをもう少し短くして読みやすくすること……だろうか。
ブログについてもう少し目標と言うかビジョンを書いておくと、不定期更新をやめるとか、お客様がブログを始めるにあたって、
「貴社のお客様になるかも知れない方が読む可能性もあるので、文体は敬体文にしましょう」
などと言っている通り、このブログも敬体文に変更すべきかと、仕様変更を検討している部分はあるのだが、オフィシャルブログでありつつ、文章表現の場でもあるこのブログは、絵描きとしての飾らない正直な気持ちや、忌憚のない意見を世に問う場としたいと思っているので、当面は「短くする」ことを具体的な目標とさせて頂きたい。

……と、この辺でやめておけば、いくらか読みやすい分量になるだろうか。

大いに遅れた今年初のブログだけれど、薄い内容ながら黙っていられませんでした。

「結婚できない男」考

皆様、こんばんは。館長&代表の如瓶です。

また絵描きだかデザイナーだかのブログとしてどうなのかと思うTVドラマの話を書こうと思うのだが、「結婚できない男」の続編の「まだ結婚できない男」というドラマをご覧になっただろうか。

一作目が13年前の夏頃に放送され、今年の秋に続編が放映されたこのドラマは、私と同様クリエイティブな立場の阿部寛(以降敬称略)が、建築家という設定である。
クリエイターであるがゆえに……というべきか、非常に偏屈で、人と関わることを好まないため社交性が低く、それゆえ孤独を好む……というよりは群れることを嫌い、空気を読むことに価値観を感じないためか、悪気はないのにズバズバと人を貶めるような発言をし、しかもそれが案外正論なので、関わる人を不快にさせながらも、良くも悪くも周囲の登場人物たちに強い影響を与えたりしている。
また、建築家という立場もあってか博学で、蘊蓄を傾けるのも好きだったりもする。
そして、主婦並みに掃除や料理などの家事も卒なくこなし、男1人で生活していく上で不自由がないため、結婚にメリットがないとすら言い放っている。
そんな主人公である桑野信介をとりまく、人々との間に展開するコメディタッチのドラマが「結婚できない男」であり「まだ結婚できない男」なのである。

なぜこのドラマについてブログを書こうと思ったかというと、主人公である桑野信介という人のあり方に、他のドラマと比べて共通・共感できる部分が多かったからであることに他ならない。
私の見てくれをご存じの方は、「阿部寛」をつかまえて何が? と思う方がほとんどだと思うけれど、そうではなくて、描かれている人物像や、発する言葉や在り方などに共感する部分が多いということだ。

まず、ドラマの根幹の部分である「結婚」ということに関心が薄いということもそうだし、そもそもクリエイターという部分で共感がある。
知識欲が旺盛なため博識(な方)であって、薀蓄を傾けたがる傾向があるのもそうだし、正論(らしきもの)で論破したがるのも、私自身に思い当たるところがある。
私はどちらかというと社交的な方だと思うけれど、独りで行動するほうが好きなことも多いし、どちらかというと群れをなして安心するようなことも少ない。

仕事の取り組み方にしても、(特に1作目では)名誉や収益よりも自分の納得性を優先して取り組むため、少し妥協すればメリットの大きい仕事も客の態度や考え方が気に入らないと断ろうとするあたり、私もどこかデザイナーとして身に覚えがある。
1作目の第6話で、

「ポリシーの合わない人の家を作ってもいい仕事ができるとは思わないんですよ」

「自分が向き合っているのは(客ではなく)家なんです。僕はただ、いい家が造りたいんですよ」

などというセリフを阿部寛演じる桑野が発するのだけれど、この辺りは絵描きとしての私の姿勢と大きく通じるところがある。
私が絵描きであることを自己紹介するような場面で「買ってあげるから今度持っていらっしゃい。何でも良いから」などと言うような「絵画=金」と考えているような人には決して売らないし、また、収益が発生する前提で描く絵は、自ずとお金に変わる絵という時点で絵描きには足かせになるような部分があると考えているし、とにかく他の何よりも自分の納得いくものを世に出し、その上で共感を得ることが大事だという信念がある点では、これまでに映画や小説やドラマで描かれてきたクリエイティブな立場のどの人よりも共感できる部分だったのだ。

それ以外にも、年齢は桑野が私より1つ年上で同世代だし、名前もシンスケ。あっちは信介でこっちは伸介だけど、シンスケという主人公は少ないし、しかも同世代だと、(見てくれの大きな差はあれ)どうも他人のような気がしない。
さらに使っているFAXや携帯電話が色違いだったり、着るものやヘアスタイルに無頓着だったり、オーダーする飲み物はミルクティーだったり(続編ではコーヒーが中心だったけど)、使っている整髪料も私が使っていたのが2本ほどあったりと、ところどころで自分のことを描かれているのではないかと錯覚することがあったほどであった。

確かに、建築家というそもそもの職業が違ったり、向こうは事務所を構えられるくらいには成功しているクリエイターだし、執拗に部屋を清潔に保とうとしたりしないし、指揮しながらクラシックを聞いたりしないなどの差異も少なくないのだが、他の点でこれほど共通点のある主人公が他に見られない以上、共感を持つのは私の自由である。
1作目に関しては、もう、大まかにセリフを覚えてしまうくらい何度も観てしまった。

で、今秋の続編。
私としても大いに楽しみにしていたのだけれど、続編にはありがちな違和感が各所にあったり、前作の出演しなくなった登場人物について、設定がほぼ同じなのだから、もう少し触れてほしかったし、桑野が著名な建築家になってしまって、親近感を持っていた私としては「置いて行かれた気分」になったし……と、至って個人的に残念だった部分はあったけれど、1作目からキチンと引き継がれた、極めて細部にまで面白みを盛り込もうとしているあたりは期待を裏切らないドラマになっていたと思っている。

13年もの月日が経つと、見比べれば阿部寛も老けたなあと思うし、草笛光子もお年を召されたなあと思う反面、塚本高史や棟梁(不破万作)、尾美としのり、三浦理恵子などは、年代がバラバラながら、あまり13年の年月を感じさせなかったのが印象的だった。

家族以外の女性陣、つまりヒロインやら準ヒロインやらは、総入れ替えになっているのだが、この点についてはオトナの事情ってやつが絡んでいるので、やむを得ないところだろうか。

弁護士役の吉田羊は、我が故郷の鹿児島が舞台の「六月燈の三姉妹」では、福岡県出身とはいえ唖然とするほど自然な鹿児島弁を披露していたりなど、達者な役者さんなのは大いに認めるし、弁護士役もピッタリだったけれど、前作のヒロインで女医役の夏川結衣(早坂役)と比べると、女性らしい可愛らしさとか軟らかさというか、もっと言えば華が控えめだったのが惜しかったかと。(多分に個人的な印象です)

華という点では、稲森いずみがある程度補ってくれていた感があるし、阿部寛との身長の釣り合いも良かったけれど、コメディであるなか、コミカルな演技を披露する場は少なく、前作で置き換わる位置であろう高島礼子(沢崎役)と比較して人としての関わりも薄めだったし、壁の花扱いだった感が否めず、もう少し表情豊かな演技が見られると良かったなあと思う。(ここは結構客観的な印象)

そして深川麻衣。マンションの隣人という点で前作の国仲涼子(みちる役)にあたる役だが、駆け出しの女優という役回りを見事に演じていたのか、それとも……と書いてしまっては皮肉が過ぎるだろうか。
せっかく顔を覚えたので、出演作に気づいたら観てみようかとは思っている。

前作は視聴率も好調で、12話あったのに対し、続編は10話で視聴率も伸びなかったよう。
10話で終わるドラマも多い昨今だけれど、12話分は放映してほしかった。視聴率低迷で短縮されたのかと思ったが、姪役の平祐奈のInstagramに、「台本がカラフル」と1〜9+最終話の背表紙が紹介されていたけれど、この点から考えても10話までとして制作されたようだ。

「人生100年」というのが、続編中の一つのキーワードだったと思うけれど、53歳となった桑野の生き様について、もう一回くらいは期待したい……と思うけれど、やはり続編はないだろうなあ。

どこか世の評判はさておき、気に入って観ていたドラマの続編を観られたのは、良いことの少なかった今年の、数少ない胸ときめく出来事だったし、いつかこのドラマについて書こうと思い、続編の放送開始時、放送終了時など、機を逸して来たので、今年最後のブログにしたく、黙っていられませんでした。

毎度、長文のブログにお付き合い頂き、有難うございました……というお礼も黙っているわけにはいきませんな。

2020年の年賀状

皆様こんばんは。館長&代表の如瓶です。

表現についての意欲が湧かなくて困っている……などと書いてから1カ月以上が経ち、そろそろ舌の根も乾いた頃なので、短めのを書いてみようかと思う。

SKIMAやらBASEやらのサイトを利用して、画像販売を試みようとしたものの、商品が年代物の作品の画像がほとんどだったりすると、買い手もつかず……というか、観賞用またはスマートフォンの壁紙用の画像など、やはりニーズは乏しいらしく、画像販売と並行して開始したInstagramは、ほとんどフォロワー獲得のためのアクションを起こしていないにも関わらず、少しずつフォロワーが増え、227名のフォロワーがいたりと、投稿数12件にしては健闘しているのではないかと思うのだけれど、画像のセールス的にはゼロという悲しい状況だったりする。

そんな中で、作品の画像の販売を試みようと思い、画像やら写真やらを販売できるサイトに登録しようと思った頃から、年賀状用の絵柄の販売してみようと思っており、今まさに制作に取り掛かっているところ。

年賀状など、WebやらSNSやらが浸透しきっている現在に、前時代的なものではあるけれど、絵描きを自称している立場としては、とりあえず描くことを諦めていないアピールにはなるし、絵柄の出来がよければファン獲得の好機になる可能性はあるし、今年はどんな絵柄のが届くか楽しみだからと、年賀状を送ってもらえる可能性も高くなるし、色んな意味で、私にとっては重要なコミュニケーションツールだったりはするのである。
30代の前半くらいまでは、上限を10人と定め、この一年お世話になった人から絵柄のリクエストを伺い、芸能人の似顔絵だの、好きな動物や風景など、リクエストを聞いて、「松の内までには届くと思います」と言い添えて年賀状の絵柄を描いていたこともあり、まあ大変な労力をかけて年賀状制作に取り組んでいた頃も10年近く続いていた。
PCやらプリンタやらスキャナやらを購入して以来、とりあえず干支の動物を描いてその年の絵柄とし、オリジナルにして自作の絵柄の年賀状を描き続けてはいるけれど、リクエストを聞いていた頃よりは楽しているとはいえ、「さすがに絵描きだねえ」「返信が楽しみだから年賀状を送っておこう」と思われたいがために時間と労力をかけて制作しているので、相変わらず年賀状制作は重たい作業であり、自営になってからは、お客様への挨拶ということもあって、手を抜けない年末(から年始)の作業なのである。

08年の年賀状の絵柄
08年の年賀状の絵柄

で、来年の干支は「子」、つまりネズミ。
色で言えばねずみ色のネズミを描いても、「インスタ映え」ならぬ「年賀状映え」しないので、一回り前にはハツカネズミを絵柄とした。2008年だったので、しっぽで「08(年)」の形を作った絵柄として一工夫凝らしたのだが、今回同じ手は使えないし、無理やり使ったとしても、しっぽで20の形にするのは難があるし、新元号を……と思っても、どう表記しても無理があるし……と、かなり作画が難航している。
前の干支の「亥」は、季節感と猪そのものの迫力だか佇まいだかをテーマに描いて年賀状の絵柄としてお世話になった方への年賀としてナシではないものにできたと思うが、今回描く「子」はそういう描き方がしづらい。
一見普通に水彩で描き込んだ感じの絵柄の中に、「今年は何年ですね」と西暦か平成〇〇年などの数字を隠し要素として盛り込むようなのも、我ながら「またアレをやるのかあ」と思ったりして、ネタ切れ感が拭えない。
そんなわけで、今回は悩ましいのである。

「おお、これならイケる!」と思う着想を得られれば、思わず寝ずに制作に取り組んでしまうことだってありうるけれど、そんなのより「あー、どんな方向性で行くか決まらないなあ」と懊悩しているときの方がはるかにしんどい。
こういうことを産みの苦しみというのだ。

と、そんなことを思いつつも、滞っていたブログのUPも、「表現者の産みの苦しみ」ゆえに再開できたし、表現活動は簡単に悪循環に陥るし、連鎖的に意欲を生んだりもする。やはり取り組む姿勢を失ったら表現者は終わりだなあと、絵柄を決めかねているクセに実感したりする。

私が過去にどんな年賀状の絵柄を描いてきたかを見たい方は、こちらからどうぞ。

冒頭に「短めのを…」と書いたにも関わらず、まずまずの分量になってしまったなあと思いつつ、愚痴みたいな内容こそ、当ブログの主旨にマッチしているよなあと思うし表現に関することなので堂々とUPできるし、また、しっぽを08年仕様にしていなければ、今回も使えたのに……と苦々しく思いながら、黙っていられませんでした。