13日の金曜美術館|アトリエ如瓶|ブログ・ヘッダ画像

このブログは、世の中の様々な「黙っていられん!!」ことを書くことを主旨としております。お客様や、お客様になるかも知れない方が読む可能性のあるブログではありますが、(書き手が勝手に決めたものながら)主旨を尊重し、常体文で記述して参ります。何卒お含みおきの上、お読みくださいますようお願いいたします。

オリジナルプリントTシャツ販売開始!!

皆様、こんばんは。館長&代表の如瓶です。

あー、また1カ月以上投稿をサボってしまった。数少ないこのブログに期待してくださっている皆様、申し訳ございませんでした。

さて、当AJサイトの親サイトである13金サイトショップにて、オリジナルのプリントTシャツオンライン販売を開始した。まあ、そのための調査や準備で、ブログ更新が遅れてしまった……という言い訳をお認めください。
ともあれ、景気回復は夢の彼方という現状が続いてデザインの需要は増えず、あまつさえ新型コロナ禍で、通って働くのも難しくなり、何かしらの新たに生き延びるための方法を模索した結果、美術館サイトである13金サイトに画像の販売を目的としたネットショップを持っているのだし、美術館らしいグッズ販売を本格的に着手してみようと思ったのが、正直なところである。
で、販売するTシャツがどんなラインナップかというと、こんな感じである。

まあ、私の作品を注意深く見てくださっている方々からすれば、見慣れた絵柄ではあろうけれど、こうしてTシャツという商品になると、作者自身も少し違って見えたりするものだなあと、思えたりしている。

このブログや、私が運営するサイト内では書いていないけれど、本職を画業としているはずの私は、自分の作品を売りたいとは微塵も思っていない。つまり、作品を制作しているのであって、絵画という商品を生産しているようなことはなるべく避けたいと思っていて、自分の分身であり産み落とした子供のような存在の作品たちは、自分の手元においておきたいのだ。
そこで、オリジナルの作品は手元に置いておきつつも、画像化した作品であれば量産も可能だし、そういう形でなら売ってみたって良かろうと思って開始したのが画像の販売だったのだが、スマートフォンの壁紙や年賀状用の元画像としての販売など、今の御時世にニーズは乏しく、購入者は1人に留まるといった有様だったため、作品をグッズ化しての販売は、画像販売よりも、もう少しだけ可能性があるのではないかと考えていたのだ。
大体、LINEのスタンプが300円程度で売っているのに、せいぜい壁紙にしか使えない画像が1,500円なのでは、欲しいと思う人がいないのは当然の話だ。

実際、私のデザイン業的にも、お客様の反応という点でTシャツは至って良好で、私がデザインした「沖縄家庭料理居酒屋ちゅら」様にしても「居酒屋 雅」様にしても、店員さんが着ているTシャツを欲しいという常連客があるらしく、デザイナーとしてTシャツというグッズ販売には可能性を感じていたのだ。
特に「沖縄家庭料理居酒屋ちゅら」様においては、お客様が申し合わせてTシャツを着て訪店し、ボックス席のお客数人がそのTシャツを着ていたこともあったのだそうで、そんな話を聞くとデザイナー冥利に尽き、ニヤニヤが止まらない思いだ。

また、画像販売の販促のために始めたInstagramにおいて、2020年9月13日現在、26点しか投稿していないながらも、獲得した「いいね」の数で人気投票の結果が出ているようなところがあり、「いいね」が多い絵柄のTシャツなら、ますます「売れるのではないか」と思えてきたようなところもあった。
付け加えて、最近知ったアーティストに、『ヤバイTシャツ屋さん』というバンドがいて、こういう人たちの音楽を聴く若い世代にとって、Tシャツってヤツは「ヤバさ」……つまり独創性が高く、見た人に強いインパクトを与えるものを求める人が多いということなのか、と思ってハッとした事もあり、Tシャツという私が扱える商材としてのジャンルについて、少し関心を持つ切っ掛けとなったりもした。

ただまあ、私も「商売」とか「小売」みたいなことについてはド素人。デザイン業にしたって商売ではあるけれど、商売であるがゆえに個人事業主としては良好な業績を出せていないわけだし、他で売っていなくてInstagramでも人気を集めたTシャツを作れば御殿が建つ……などと、安直には考えていない
とはいえ、仕入れて売るからには、無駄な失敗をしたくはない……と、そんなわけで、ファッションにすら疎い私は、Tシャツを買いたがるような若い世代から、自分に近い世代のファッションにこだわりのある人などを対象に、時間とお金を使って、入念な調査もした。
結果、
Tシャツではあれ、欲しいと思ったものには2万円出した(男性・20代前半)」
とか、
「20代前半のウチの息子もそうだし、今どきの若者は制服であるかのように皆白いTシャツを着ている(女性・多分アラフィフ)」
とか、
「Tシャツの絵柄には、やはり絵柄に強いインパクトが必要
とか、
「そういう感じでTシャツを売るなら(値段が)高いほうが売れると思う」
とかいった、大いに参考になる意見を得た上で、スタートしたのだ。
つまり、商売を始めるにあたって損失を少なくするために、ヒアリングに必要な飲食店へ行ったりして、キチンと投資もしたというわけだ。
本業を絵描きと自称する私としては、何をやってどれだけ利益を得たとしてもそれ以外は副業なのだけれど、わざわざ副業を新規に開始するにあたって、画像販売で失敗した分、慎重であるための情報収集に投資もして、真っ向から取り組もうとしているのだ。
要は、成功しなかった画像販売で得た経験をもとに、より良い副業を目指しているということなのだ。

スタート時点での1着のお値段は、送料・税込で5,000円なのは、「高い方が売れる」という意見に納得したからではあるのだけれど、BASEのTシャツを販売しているショップ群を見た上での相場は3,000円。
何としたことか、現在(2020年9月)も開催中の「バンクシー展」のサイトのグッズ販売のページを見ると、Tシャツは3,000円弱
それを思うと現状の私のオリジナルTシャツのお値段はふっかけ過ぎかなあという気はするが、バンクシーは作品自体でも複製しているし、恐らくは著作権も放棄しているであろうし、インクも1色しか使っていないからこそ実現できる値段だと思う。モネ展とかフェルメール展とかなら、私のオリジナルTシャツと近い値段になるんじゃないだろうか。
……とはいえ、やはりちょっと高いかなあ。(汗)

本業と副業の中間にあるようなビジネスを展開しようとしているのだと思うのだけれど、自分の作品を商品としてTシャツにするということは、ダイレクトに自分の作品の評価にも繋がる訳であって、どんな結果が出るかを考えると、表現し難い恐怖感もあるのだけど、集めた情報的にも期待と商売の難しさとが、入り混じっているのが現状である。

売れたら嬉しいけれど、売れなかったら画業の存続もどうすべきか考えてしまう……そんなビジネスを始めようとしているのだと思うと、やはりどちらかと言うと、恐怖のほうが大きい……と、黙っていられませんでした。

007 ダイ・アナザー・デイ[終]

皆様、こんばんは。館長&代表の如瓶です。

また少し間を開けすぎてしまったけれど、タイトルに[終]と付けたのは、イラスト付き007シリーズについてのブログを最終回にするということで、映画のシリーズが終了するということではない。念のため。

テレビ東京での「007シリーズ20作品大放送!」の放映がとっくに終わってしまったのは、前回のブログでも書いたとおりだし、正直なところ、レコーダーを一時停止して、TVを前に座椅子に座って描くというスタイルにも疲れてきた。
私の使っている購入から7年以上経つT社のレコーダーは、15分で一時停止が解除されてしまい、熱中して描き進めている途中で、集中力が高まってきた頃に、地上波放送に戻ってしまったりすると、運筆を誤るほどではないけれど、少なからずギョッとするし、また再生して一時停止して……という段取りを経て、再び制作に戻る……という、これまで経験しなかった過酷な制作環境だったのだ。
そして、10年以上使い込んできた座椅子は、1時間も座っているとお尻が痛くなってくるし、そんな環境下で、集中力もとぎれとぎれになりながら制作を進めるのに、疲れた……という訳である。

イラストを鑑賞する皆様にはどうでもいい私の制作上の過酷さはさておき、今回選んだ作品は『007 ダイ・アナザー・デイ』。
本当は一つ前の作品の『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』も採り上げたかったのだが、テレビ東京が金曜日を中心としつつ、木曜日にもランダムに放映していたため、何作かを録画しそこない、『ワールド・イズ……』もその中の一作となってしまったのだ。
TVの放送としても20作目で最後だったし、見どころ満載の映画であることは分かっていたので、私のブログのシリーズとしても相応しいかと思えたのである。

この作品は、私が録画して最初から最後までを久々にきちんと観た007シリーズだった。
ティモシー・ダルトンのボンドには、好感をもっていたけれど、彼が2作に渡ってボンド役をやっている間に、何となく007シリーズは世界中の話題をかっさらうタイプの映画ではなくなったような印象を持つようになり、ピアース・ブロスナンにバトンタッチしてからは、あまり新しい映画を観なくなっていた私でも知っている俳優を起用して、巻き返しを図ろうとしている感じは伝わってきたけれど、初期のシリーズのファンだった私としては、関心の薄い映画になっていた。

が! 事前にTVで放映される事を知って、何気なく観てみる気になり、(ビデオデッキで)録画して観てみたところ、かつてのシリーズとは大きくテイストが変わっていたものの、大変見応えがあり、充分に楽しめる作品に生まれ変わっているように思え、驚いてしまった。
とにかく、ブロスナンに代わってからの一連の作品は、予算の大きさに比例する派手なアクションシーンが多く、007シリーズであることを忘れていても楽しめるレベルに達していて、それはこの作品にしてもそう。
そうかと思うと、ボンドのキザなセリフは健在で、ボンド・ガールのハル・ベリーとの出会いのシーンの掛け合いは、なかなか聞かせるし、新兵器・秘密兵器も多彩で、往年のシリーズの持ち味を損なっていない。
興行成績的にも、過去最高を記録したのだそうだ。

変化という点で一番印象的だったのは、東西冷戦が終結した現在、敵役として描かれているのが、日本の近隣国と思しき某国となっている点だった。英国の諜報部の活躍を描くためには、やはり新しい舞台が必要で、新兵器も進化していくように、敵役も変化したんだなあという感想を持ったのを思い出す。

キャスティングも、ジンクス役のハル・ベリーを始め、チョイ役で主題歌を担当したマドンナがお色気を振りまいたりして、贅沢な感じはあるが、敵役勢は幾らか地味。
画的に映えないと思ったのか、東洋人顔だったはずの敵方のボス・グスタフは、遺伝子操作により西洋人になりすますという理由で西洋人の役者に代わり、韓国系アメリカ人が演じる用心棒役・ザオは、スキンヘッドにカラーコンタクトを付け(同じく西洋人化しようとする過程の演出)、おまけに爆風で飛んできた幾つかのダイヤが顔に埋まっているという強烈な風貌で立ち回る点も印象的。
TV版のザオの声は、ガンダムシリーズのシャアを担当していた池田秀一氏が吹き替えていたのにも驚いた。

新兵器・秘密兵器にしても手抜かりはなく、クイッと回すと超音波を出し、装着した掌を当てるとガラスを粉々にしてしまう指輪などは、小物ながら随所で効果的に使われているし、ボンド・カーもBMWから英国車のアストン・マーチンに戻っただけでなく、ボディ全体に超小型カメラを仕込んであり、背景の映像をボディに映し出し、透明に見えてしまうという近未来的なシステムを装備し、これもまた効果的に使われていた。
このアストン・マーチンには、ショーン・コネリー時代のゴールドフィンガーにも装備されていた助手席のシート射出装置も装備されていて、まだそんな装備を? と思ったが、これも本来の目的(?)とは別な形で上手に使われていた。
この映画のこの車を見た知人が、「007にあんなSFはいらないと思う」と言っていたが、私は同じようなシステムが使われている戦場で使うスーツが出てくる話をゴルゴ13で読んでいたので、前述の指輪も含め、技術が高度になっているなあとは思ったものの、SFとまでは思わなかった。
まあ、ある程度実用化されているのかも知れないが、よくできた迷彩服程度の代物なのではないかと思うけれど。

車といえば、「俺たちだって同じようなのを持っているぞ」とばかりに、敵側もガトリングガンやロケットランチャーを搭載した車(ジャガーXKRのオープンカー)を用意していて、これを用心棒のザオが駆り、氷上のカーチェイスを繰り広げたりするところも斬新だった。ボンド・カーならぬザオ・カーといったところか?
氷上でのカーチェイスとなったのは、敵方の基地がアイスランドにあったからで、そんな寒いところにある基地で何故オープンカーを使っていたのかと理解に苦しむし、このカーチェイスのときのザオは、ゴーグルこそ着用していたが、頭はスキンヘッドのままで、すごく寒そうだった。アンタ、帽子も被れよ……と思ってしまった。
ボンド・カー同様にザオ・カーも英国車で、氷上で乗っても寒くないオープンカーであることを標榜したかったのだろうか?
…と、本当のところ、この運転中の寒そうなザオか、氷上のカーチェイスを描こうかと思っていたのだが、『女王陛下の007』で運転中の絵は描いたし、車も『ダイヤモンドは永遠に』で描いた。肖像権・著作権も気になったので、違うシーンを選んで描くことにした……のが、今回のイラスト。

ご覧の通り、ボンド・ガールであるハル・ベリーの初登場シーンを選んでしまった。
正直に書くと、ボンド・ガールとはいえ、人種がどうとかではなく、この人が出ている映画を探して観ようと思うようなことはない女優だったのだが、機械類や建物などをイラストにする事が多かったこの連作の中で、最後くらい有機的なフォルムのものを描きたかったというのが、理由の一つ。
そして、水面の描写を得意としている私だが、こんなふうにキラキラと水面が光っているところを描いたことはなく、これを少し黄色みのある紙のスケッチブック上で再現してやろうと思ったのが、選んだ理由の一つだった。
さらにもう一つ、雪景色(リビング・デイライツ)やロシア(ゴールデン・アイ)など、寒い雰囲気のイラストを2枚描いた後だし、今は季節も夏なので、温暖な雰囲気の絵柄にしたかったというのも理由の一つだった。
人物画としてみても、強い逆光で比較的小さめに収めているため、肖像権的な対処もできるし、スレンダーな水着姿の女性を描いただけに見えるので、著作権的にも問題は少なそうなのも都合が良かった。
スレンダーで、いくらか筋肉質だとはいえ、女性の水着姿などを描くのはそれなりに楽しいし、得意の水面を描くのだから、終始楽しく描けそうだと思っていたのだが、スケッチブック上での完成度や満足度は、想定の半分くらい。
水面のキラキラ感を強調するのが意図だったのだが、水面の明るい部分に少々色を乗せすぎてしまい、何度か一から描き直そうかと思ったが、人物の部分にしっかりと色を乗せてみると、どうにか水面の明るい部分として落ち着けることができた。
それにしても思っていた以上にキラキラしたところが際立たず、少々苦々しい記憶を呼び起こす最終作となってしまった。
ここに掲載した画像で見ると、縮小された画像となっているため、実物よりも少しだけキラキラ感がよく出ている感じに見えるが、私のイメージよりは数段劣る結果となった。
まあ、初めて描く光の状況だったのだが、縮小された画像で、概ね意図したとおりに仕上がったのだから良しとしたいところだが、個人的な達成感の低さを反映してか、Instagramでの「いいね」の伸びも良くなかったりして。
肖像権対策のために、似せる努力はかなり控えめにしたのだが、これがバッチリ似ていれば、もう少し「いいね」をもらえただろうか。

……と、作画に苦労しただけでなく、見どころ満載の映画を採り上げてしまったため、むしろ描くシーンを選びきれず、前回のブログから余計に日数がかかってしまった……と、言い訳をご容赦いただきたい。

現状、ブロスナンもこの作品を最後にボンド役を降り、ダニエル・クレイグに代わっているけれど、この新ボンドが私にはどうも……。ブロスナンまでで放映を終えてくれたテレビ東京に、放送時間の事情があるとはいえ、もう少しカットする部分を慎重に選んでほしかったとか、ランダムな放送スケジュールに対する不満のことは忘れ、感謝しておきたい……と、黙っていられませんでした。

007 ゴールデンアイ

皆様、こんばんは。館長&代表の如瓶です。

ウイルスってやつは、人間の都合通りに終息してくれないものだなあと思いつつ、我々が知らされ、追わされているのはどうとでも扱える数字なのであって、世界中に行き渡る量のワクチンが出来ない限りは、自衛が一番なのかなあと思いますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

引き続き、007シリーズのイラスト付きブログを進めていこう。
今回は『007 ゴールデンアイ』。
2作でボンド役を降りたティモシー・ダルトンに代わり、ピアース・ブロスナンが新ボンドとなった最初の作品である。
ピアース・ブロスナンについて先に書くと、映画のシリーズ全体を考えたときに、かなりボンド像にピッタリ来る役者だったのではないかと、私は見ている。
二枚目であることもそうだが、プレイボーイのボンドに不可欠なキザなセリフもよく似合うし、身のこなしも悪くない。
一見、ひょろっとした優男に見えるが、分厚い胸板に胸毛を備え、野性的な魅力ものぞかせるし、タキシードなど着ていてもよく似合う。

近年の映画はどれもそうだが、銃の扱い方も本物っぽい。
銃の扱いは、映画にそういう部分にまでリアリティが求められ、キッチリと指導があったものと思われるが、今にして思えば、ティモシー・ダルトン以前のボンドも、実銃を撃ったことがないためか、撃ったときのリコイル(反動)がないかのような撃ち方をしていた。
もっともそれに気付かされたのは、ブロスナンがピストルを構え、索敵しながら部屋へ入っていくようなシーンの動きなどを見ていると、プロだか専門家だかの指導なしには出来ない動きをしているように思えたからであって、役者の巧拙ではないのだと思うけれど。


銃器について言えば、いかにもガッチリしたショーン・コネリーなどは、ワルサーPPKのような小ぶりな拳銃一丁で戦う様子が絵になるが、ブロスナンは機関銃を撃たせてもなかなか絵になる。
ともあれ、これまでのボンドの良いところを全て兼ね備えているかのようなボンドだと思えるのだ。

国籍はアイルランドだそうで、イギリス人ではないけれど、オーストラリアよりは近い国だし、まあ大きな問題ではない。

さて、この作品にしても、低迷傾向だった興行成績へのテコ入れやら、製作者が代わったりやらで、雰囲気も大きく変わった印象を受けた。
ボンド・ガールのナターリアに扮したイザベラ・スコルプコは、ロシアのプログラマーで、いわばITのスペシャリスト。随所に端末を操作するシーンが出てきて、パスワードを破ろうとしたりなど、このシリーズも現代に近くなってきたなあという感じがする。
ボンドの上司であるM役も、ジュディ・デンチという女性に代わり、男女同権の社会を反映させたかのようだが、これは実際に英国の諜報機関のトップが女性であることが発覚したために、それに倣おうとしからだそうだ。
この映画で支給されたボンド・カーは、なんとBMWでドイツ車。この選択についての記述は見当たらなかったが、これもイメージ刷新なのか、英国車にめぼしい車がなかったのか、これも意外な変化ではあった。
このころの007シリーズは、東西冷戦時代を引きずっている感じがあり、前時代的と評されていたようだが、そうした印象を一新したいという意図が伺えるかのようだ。
この映画でも、敵役にロシアはいるけれど、率いているのはMI6やボンドに恨みを持つ元英国のスパイだし、単純な東西冷戦ではない構図になっている。

とにかく、もともと壮大なスケールで描かれてきたシリーズだったけれど、さらにスケールアップされた感じがした。冒頭のカーアクションも、かつてのボンド・カーのアストンマーチンDB5対フェラーリF355と、車が好きな人なら「おっ!」と思う豪華さ(さすがにクラッシュシーンはないけど)。
また、ストーリーの中盤では、ロシアのサンクトペテルブルグの市街地で繰り広げられる戦車によるカーチェイスシーンでは、連れ去られようとするナターリアが乗る車を追いかけ、車でならやっと通れる建物内の通路を物ともせずに破壊し、前を塞ぐパトカーもラクラクと踏み潰す。
さらには、大きな銅像の台座に戦車を突っ込ませて破壊し、ダルマ落としの要領で戦車の上に銅像が乗っかり、そのまま追跡を続け……と、カーチェイスシーンも売りのこのシリーズの中でも、出色の迫力だった。

……というわけで、こんなシーンをよくぞ考えた、よくぞ撮ったというこのシーンを、今回は選んだ。

このシーンについては、前述のとおりだが、画面右下に、ナターリアが乗る敵の車も入る構図にした。
これもWiki情報だけれど、破壊の限りを尽くした市街地はセットだったそうだが、シリーズで初めてロシアでのロケの許可をとったそうで、リアリティを追求しているところも凄いと思うし、戦車で破壊するための市街地を作ったりするあたり、制作側の意気込みが感じられる。
実際に、ロケで撮った映像が使われている部分は少ないそうで、それは無理もないとは思うけれど、銅像を乗せたままの戦車が市街地を疾走するという超現実的な光景は、前代未聞であると同時に、このシリーズのユーモアも盛り込まれていて、非常に印象深かった。
まだ観ていない方は、この卓抜したアイディアや迫力を、是非ご覧頂きたいと思う。

作画上は、銅像の台座の瓦礫などが車体に散らばっているだけでなく、もともと複雑な形状をした戦車が疾走しているため、細部がよく見えず、車体のクローズアップが映っている別なシーンを見て細部を描き起こしたり、銅像らしい色を再現するのに苦労したり……と、なかなかの労作となったが、戦車が形になってきて、信号機など街並みのディティールを着手する頃には、楽しんで描けた作品でもあった。

さて、映画の話に戻ると、ボンド像にピッタリのブロスナンに加え、様々な刷新をして新しい世界観を構築すると同時に、ドラマチックで迫力のあるティナ・ターナーのオープニング曲や、ストーリー中に盛り込まれるユーモアあふれる会話や設定など、変わらない魅力も備えて、ボンド映画復活を果たした映画となったのではないかと、私は評価している。

登場から中盤まで、黒タイツを履いてはいるものの、丈が短めのスカートで美脚を披露してくれたナターリアの活躍も、個人的には見どころだった。

……と、このシリーズも17作目を採り上げる段階まで来て、ボンド映画はまだまだ残っているけれど、あと1回で最終回にしようかなあと思っていることも、黙っていられませんでした。