13日の金曜美術館|アトリエ如瓶|ブログ・ヘッダ画像

このブログは、世の中の様々な「黙っていられん!!」ことを書くことを主旨としております。お客様や、お客様になるかも知れない方が読む可能性のあるブログではありますが、(書き手が勝手に決めたものながら)主旨を尊重し、常体文で記述して参ります。何卒お含みおきの上、お読みくださいますようお願いいたします。

007シリーズのこと

皆様、こんばんは。館長&代表の如瓶です。

007シリーズの映画をご存知だろうか。ご覧になったことはあるだろうか。

イアン・フレミング原作のこの映画は、英国のスパイであるジェームズ・ボンドが主人公で、種々の任務を帯びて世界各国を渡り歩き、秘密兵器だか新兵器だかの小道具・大道具を使って窮地を切り抜け、敵方・味方を問わず、任務上という建前で美女たちと親密になり……と、少年期にこのシリーズを観た私には、カッコいいオトナの世界が描かれており、TVで放映されると知ると、ベッドシーンには家族の目を気にしたものの、食い入るように観ていた映画だった。
更に細かいことは、原作やネット情報に説明を譲るとして、第二次大戦後の東西冷戦下にあってこそ、国が抱えているスパイが活躍する舞台が用意されているようなところがあり、昨今のシリーズは、イアン・フレミングの原作が映画化され尽くしたり、冷戦が終了したご時世だったりで、新しいシリーズを見るたび、設定やスパイの役割が随分変わったのを感じていた。

とはいえ、ボンドが所属するMI6とか、アメリカのCIAとか、イスラエルのモサドとか、企業スパイというレベルであっても、その存在に憧れを抱いたことのある諸兄は少なくないのではないだろうか。
私はスパイでございます……などと言えるわけのない、本当の姿を偽り続けなければならないミステリアスな立場であったりとか、それがバレたら命に関わるとかいう他の仕事とは異質なスリリングな立場とか、任務を達成するために必要な才能と特殊な訓練や教育を受けたりとか、どこか「選ばれた人材」であるあたり、冒険心や特殊な立場への憧憬など、男たちの冒険心や関心をくすぐる要素でいっぱいであり、映画で美女と親密になることすら任務であるようなことが描かれていると、「ボクもなりたい〜」と思う少年は多かったと思うし、そんな業種を主人公に据えた小説は映画化されて当然だと思うし、ジェームズ・ボンド以外にもスパイもの、エージェントものの映画が多数制作されているのも肯ける気もするわけである。

私が007シリーズの映画と初めて出会ったのは、ロジャー・ムーアがボンド役をやっていた「私を愛したスパイ」だった。
小学校4年のときで、夏休みだったか、学校で夏休み前に映画の割引券が配られたのをきっかけに、クラスメイト(もちろん男)の2〜3人で映画館へ行ったのを記憶している。
今思うと、冒頭からベッドシーンがあるような映画の割引券を、よく小学校で配ったものだと思うけれど。

で、この作品のボンド・カーのロータス・エスプリが、激しいカーアクションののち、敵のヘリに追われて水没……かと思いきや、潜水艇へと変貌したりとか、見るからに恐ろしい金属の歯を備えた大男の敵キャラがいたりとか、小学生を引きつけるには魅力たっぷりだった「私を愛した〜」であり、それを観て以降、TVの映画で007ものをやるとなると、それ以前のがどうだったかが気になってしょうがなく、また新作が公開されるとなると待ち遠しくて……と、そんな感慨が、今も尾を引いている感じがある。
ジェームズ・ボンドの年齢を遠く上回ってしまったはずの私にとっても、007シリーズとはそんな映画なのだ。

ちょうど今、某局の昼間の映画で、このシリーズ20作を放映する予定となっており、第一作「ドクター・ノオ(1962年公開)」から見返すチャンスに恵まれた。
少年期から、何十年かの時を経て観る007シリーズは、現状8作目まで放映され、今も通用する見ごたえを感じる点もあれば、その時代ゆえの映画としての素朴さ……というより拙さみたいなものも感じる部分もあり、複雑な心境だが、まあ観てみれば胸をときめかせた頃の感覚も蘇ってきて、やはり感慨深い。

そんなわけで、放映予定の20作(現状25作あるようだけど)を観て、これぞという作品について、賛辞もツッコミも書いてみたいと思う。
本当は、放送済みの分を一回のブログで書こうと思っていたけれど、ここまでで1500文字を超えてしまったので、やはり無理でした。

要は、今回のブログは、この後に書くブログの予告編……というわけである。執筆についても創作意欲が湧かない現在、絶好の救済策かと思えたりもして。
007シリーズファンの方も、そうでない方も、乞うご期待……と、黙っていられませんでした。

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