13日の金曜美術館|アトリエ如瓶|ブログ・ヘッダ画像

このブログは、世の中の様々な「黙っていられん!!」ことを書くことを主旨としております。お客様や、お客様になるかも知れない方が読む可能性のあるブログではありますが、(書き手が勝手に決めたものながら)主旨を尊重し、常体文で記述して参ります。何卒お含みおきの上、お読みくださいますようお願いいたします。

SKIMAとfacebook広告その後

皆様、こんばんは。館長&代表の如瓶です。

SKIMAというサイトが有るのをご存知だろうか。
本音では描いた絵を売りたくないのだが、自分でも出来が良いと思うものは、できるだけ沢山の人に見てほしいし、できるなら身近なものとして楽しんでほしいとは思っていた。幸い、自分でPCを持つようになり、スキャナやらPhotoshopを持っているため、自分のPCの画面上に水彩画や油絵を再現できるわけだし、画像として作者である自分が納得できるものであれば、複製してお買い上げいただくのもアリなのではないか……と思うようになったのである。
しかし、もともと一品物だった絵画を取り込んで、複製した画像など、欲しいという人がいるのだろうか?それより、どうやって売ったらいいのだろうか?

そう考えて、種々検索してみたところ、見つけたのがSKIMA(スキマ)。
アクセスしてみると、アニメタッチのイラストに値段が付けられた形で多数紹介されており、確かにイラストの画像が販売されているようだった。
サイト内を回遊してみると、イラストを出品するだけでなく、こんなイラストを描いているので依頼してくれませんか?……と、サイトに登録したイラストレーターが仕事を請けられる機能も備えたサイトであるようだ。イラスト以外にも、デザイナーが「ロゴを作ります」とか、文書すを書きますとかいう記事もあり、SKIMAとはスキルマーケットという意味か……と思った。
しかしながら、私が出品したいのは、水彩画や油絵であって、サイトの雰囲気にはえらくそぐわない。
だが、そんな中に写実系の水彩画が紹介されていたら、逆に目立ってセールスに繋がるのではないだろうか……とも思えた。
サイトを見つけたのが6月の下旬で、私の水彩画の中でも評判のいい紫陽花がまだシーズンだし、これなら複製された画像であっても、ほしいと思う人がいるのではないだろうか。
そう思った私は、早速登録し、紫陽花の絵を2点、出品してみた。紫陽花の時期が過ぎたら、過去に描いた年賀状用の干支の絵を出品したり、今年自分が描く干支のイラストを出品しても良いか……などと、ざっくりと今後のことも考えたりしていた。
お金のやり取りが絡む登録なので、電話番号などを用いた本人確認が必要だったり、銀行の口座番号の登録が必要だったりと、サイトを介して売買ができる実感が湧いてきた。
出品後、紫陽花のシーズンもどんどん残り少なくなっていくので、意外と早く買い手がつくのでは……などと皮算用しながら日々アクセスしていたのだが、バッチリ公開されているはずなのに「いいね」の1つもつかず、
「あー、やはり場違いな出品だったか」
と、1週間経たないうちにあきらめモードへ。

ところが、それからさらに1週間ほど経ったのち、自分のサイトのPRでもしようと久々にmixiにログインしてみたらビックリ。mixi内にSKIMAがバナー広告を出しているのにすぐ気付いたのだが、アニメタッチのイラストが使われている中に、私の紫陽花の絵がデカデカと使われているではないか。

mixiのログイン画面
mixiのログイン画面のSKIMAのバナー広告

ひょっとして、私のページだからSKIMAが気を使って私の絵を使った広告を表示しているのか?と思ったほどだったが、そんなことが出来る訳はない。
「1人として購入した人はいないし、いいねの1件もつかない絵なのに、広告につかうの?」
と、驚きとともに疑念も渦巻き始めるが、冷静に考えると、こうしたバナー広告は、
「うちのサイトにはこんな絵が売ってますからクリックして見に来てください」
とか、
「こんな出品者がいますよ。あたなもどうですか?」
とかいうサイトへの誘導を目的に作られているわけで、バナーを見た人をその気にさせる作品を掲出する必要があるはず。アニメタッチの絵を中心に毎日のように出品されているはずのSKIMAのスタッフが、私の水彩画を広告に使おうと思ったということは、
「ウチはアニメの絵ばかりじゃないよ」
と言いたかったのかも知れないし、サイトの引き出しの多さを標榜したかったのかも知れない。
いずれにせよ、広告を制作したスタッフにしてもアニメタッチの絵が好きだった人は多かっただろうし、ディレクターもそういう志向の人である可能性が高い中で、広告に使いたくなるくらいには私の絵が評価されたということになる。もっとハッキリ言えばアニメ好きの人たちにも私の水彩画が認められたということだと考えてよいだろう。
そう思うと、疑念など吹き飛び、一銭の得にもなっていないことなのに、思わずニヤニヤしてしまった。
ただ、作品の出品の際に、「著作権は購入者に譲渡する」という項目にチェックを入れたので、SKIMAが私の絵を買ったのなら広告に使おうと自由なのだが、そんな事実はない。

恐らく運営側としては、
「出品者からお金を積んで頼まれたからといって出品作を広告に使われるかどうかわからないところを、タダで拡散してやっているのだから文句言うやつはいないだろう」
と高をくくっているからこういう事になったのかと思うと、少し文句を言いたくはなるけれど、独力では無理な規模での拡散をしてもらっているのは確か。ニヤニヤするに留めておく方が平和というものだが、メールで一報くらいは欲しかったなあ。

その後も、ネットで調べ物などしていると、あちこちのサイトにSKIMAのバナーがチラホラで、思わずニヤニヤ。私も美大の油絵科を卒業したなりに、描いた絵を認めてもらえてきたからこそ、今もやめずに絵描きを自称しているけれど、こういう形で評価されたのは初めてで、賞候補になっていたという卒業制作が入選したとしたら、同じくらい喜んだだろうと思うくらい、嬉しいことだったりする。
SKIMAの皆様、有難うございます。いいねは1つずつついたものの、まだ1点も売れてないけど……。(汗)

さて、タイトルに書いたように、facebookの広告の結果も付記しておこう。
AJサイトへの誘導が目的の広告だった訳だが、前回のブログでも書いたように、
「7月2日までの状況は、1,300のリーチがあり、エンゲージメントが10ほど。」
と書いてから、1件の広告を10日掲出したら1,100円だと思っていたら、1日あたり1,100円だということに気づき、掲出期間を6日に短縮してしまった。ほぼ思いつきで取り組んだ広告に、1万円の出費はちょっと避けたい。

で、昨日7月5日までの結果はというと、

表示された回数(リーチ):2,108回
サイトへの誘導(エンゲージメント):19回
CPC(クリック1回の単価):321円

という結果。
脚で営業しようとした場合、2,100人に「320円あげるからこのサイトを見てね」と働きかけたら、19人が応じてくれたということで、何となく微妙な数字だけれど、6日で2,100人に話しかけるなど無理な話だし、お友達でない方からも2件のいいね!を頂けたので、まあ広告を出してみて良かったと言えるだろうか。(いいね!単価は考えないことにしよう)
広告を出したのち、誘導先のページの改良や、放ったらかしにしていたサンプルページの追加などにも、夜を徹して取り組んだので、自分の思いつきに振り回されるような結果となってしまったが、終わってみればサイトのコンテンツも充実し、キャンペーンページも改善される結果となったので、飲み代にするよりは意味ある投資だった気がする。

今後また、同じように広告を掲出する予定はないのだけれど、今回の至らなかった部分を参考にして再トライしたら、もう少し良い結果が出るのかも知れないなあと思うと、少しだけ野心が疼いたりしている。

以上、今のところ一切収益には繋がっていないけれど、ちょっと嬉しい出来事について報告したく、黙っていられませんでした。

facebook広告

皆様、こんばんは。館長&代表の如瓶です。

今回は、facebookに広告を出したことについて書いておきたい。
幾つかのサイトを、主要なクエリで検索順位10位内に送り込んできた私だが、自分のサイトについては結果が芳しくないので、facebookの広告にお金を使ってみたのだ。
それくらいしないと、SEOのキャリア的にも上を行っていて、プロの営業職がいるであろう同業他業者のほぼ100%がサイトを運営している状況で、なおかつ、
「サイトを持ったって金ばかりかかって成果などでないだろう」
という認識が浸透しつつある今、Googleに登録されて1年経っていないAJサイトが広告くらい出さないと太刀打ち出来ないと思ったのである。

もう少し、無料でできる認知度向上のための手段がないかを追究するべきなのかも知れないし、他にお金を使う方法は、リスティング広告なども思いつくけれど、AJサイトのfacebookページに検索順位の推移などを書き記したりしていたら、「1100円で何百人にリーチ……」とか書いてあると、思っていたより安く宣伝できそうだから試してみようと思ったのである。
facebookページに投稿してきた検索順位は、状況を考えれば健闘していると思えなくはないけれど、やはり10位内を目指さなくては成果につながらない。

少しでも(無料で)AJサイトの存在を知ってもらおうという意図のもとに始めたfacebookページでは、今まで10日に一度位のペースで、検索クエリごとの順位の記録をとるような『投稿』をしてきたが、それぞれの投稿に対してリーチ(投稿が表示された回数)はずっと1で(どなただかすごく気になる)、ずっとエンゲージメント(今のところAJサイトへのリンクのクリックを設定)は0だったものの、『広告』を6月30日から開始して7月2日までの状況は、1300のリーチがあり、エンゲージメントが10ほど。
お金を使った分、アクセス状況が活性化したのは明確だが、エンゲージメントが126人に1人(達成率約0.8%)という結果であり、以前私が制作したDMの例と比較すると、3500部郵送して10件前後の成約(私の前の業者のDMだと4〜5件だったそう)で、同じように比較すると350件に1人(達成率約0.2%)で、

「おお、なかなかいい結果じゃないか」

……と思ったものの、実際はホームページ制作の成約が本来の目的であって、その点に関しては成果ゼロ。DMの例と比較すらできない段階であり、自分のコピーまで含めた広告の制作能力の低さなのかと嘆きたくなるけれど、DMにしたって成果を測るには1週間必要だし、126人のうち1人がちょっと見てみようかと思ったののも成果は成果。これらがAJサイトに今一番足りない被リンクに繋がることもあろう。
まあ、もう少し様子を見てみたい。

ただ……、1つの広告の掲出期間が10日で1,100円だと思ってやり始めたものの、実際は1日あたりが1,100円で、10日掲載を続けると、11,000円……。ちょっとキビしいので、今のところ掲出期間を半分にする予定だったりする。

因みに広告は、私が設定した設定だと、facebook内のモバイル機器のニュースや、デスクトップニュースなどに掲出されており、その比率や、リーチの男女比なども分かるようになっている。
私自身、facebookにアクセスして、モバイルアプリでもPCでも広告が掲出視されているのを目撃し、無駄に広告費を払っていないことを確認できた次第。スマートフォンだと、こんな感じで掲出されています。

スマホでの広告キャプチャ
これがスマートフォンのアプリで表示されたfacebook広告。どなたか「いいね!」押してください。

……というわけで、有料広告を出すくらいは必死になっていることをお伝えすべく、黙っていられませんでした。

今更Facebookのこと

私がWebと関わりを持ちはじめた2000年頃、個人がWeb上で何か物を言おうと思うと、それがBBCだろうとチャットだろうと、匿名が原則だった。
皆、思い思いにハンドルネームを用意し、Web上では日常と別な人として意見交換し、違う人格を演じる醍醐味もあったりしたものだ。
勿論それは、匿名の発言者として無責任に言いたいことを言おうとする、どこか身勝手な目的であった反面、個人が特定され、発言に対して恨みを持った者から実生活で報復を受けたり、居住地がバレてストーカーの被害にあったりを防ぐ一面もあった。
それがWeb上での「匿名性」だったのだと思う。

大流行したmixiなどでも、Web上では匿名というのが常識であり、オフ会も盛んに行われていたものの、匿名であることが発言に対する安全保障みたいなところがあり、そのお陰で会員はmixi日記を安心して書けていたようなところもあったと思う。私だってそうだった。
余談だが、我が屋号である「アトリエ如瓶」の「如瓶」も、mixiにおいて初めて使った名前であって、いつしかWeb上で使う名前は如瓶でないと落ち着かなくなってしまい、オフでも顔を合わせる人たちと一緒に協力型のゲームなどしている頃は、そうした知人たちから、本名よりも「ジョビン」と呼ばれることの方が多い時期もあった。

とにかく、匿名であるがゆえに言いたいことを言え、また気軽に変身願望を具現化したり、我が身を守るために別な名前を用意して楽しんだりするのがWebでのコミュニケーションの特長であり、魅力でもあったはずだ。

ところが、Facebookが普及し始めると、携帯電話やスマートフォンで自分の顔を気軽に写せるようになったことも影響したのか、誰もが本名でSNSに参加し始め、ご丁寧に顔まで掲載するのが当たり前になった。
私もFacebookのアカウントを取得して数年経つけれど、未だに積極的に活用しようと思えないのは、本名+顔出しが当然であることへの違和感が影響しているように思えている。
そんな匿名性が排除されたFacebookにおいて、一頃は不倫したい人たちにとって重宝するツールになっているという話を聞いたり、具体的に報道されているのを見た記憶はないけれど、Facebookに顔や所在地を晒したおかげで犯罪に巻き込まれたりした人もいるだろう。
それでも皆が堂々と本人であることを公表したうえで、自らの生活やら思うことを思うがままにアップすることのリスクに対して、無神経すぎるんじゃないだろうかと思えてならない。

もともと熱心じゃないので、Facebookの由来などについてはよく知らないけれど、匿名+顔伏せが前提の頃のWeb上のコミュニケーションは、近隣か遠方かに関わらず、不特定多数の未知の存在との出会いや交流が主たる目的だったのに対し、Facebookは簡単に顔を合わせることができない既知の存在との再開を目的としているのだとしたら、実名+顔出しもどうにか頷ける。そういうスタイルでここまで普及したのだから、それだけ幅広いニーズがあったことを裏付けてもいると思うけれど、私にとっては今ひとつ実名+顔出しのコミュニケーションに楽しみを見いだせない。前述の違和感でもあり、私生活を晒すことへの恐れでもあり、数年続けてみて得られるものの少なさといい、やはり私には匿名+顔伏せの頃の方が魅力的だったように思えて仕方がない。

何故かと冷静に考えてみると、実はもう答えが出ていて、それはズバリ、自分の見てくれやら私生活に対するコンプレックスが根底にあるからだと思っているのだ。
匿名+顔伏せでのコミュニケーションであれば、少々文章を書き慣れている私の場合、気取ったセリフを吐こうが、偉そうに世相を批判しようが、言葉を弄してある程度自分を演出することができるが、実名+顔出しで同じことをやると、「何をこの小太りヒゲオヤジが気取りやがって」と思われそうで、どこか萎縮してしまうのである。
匿名+顔伏せであっても、いずれオフ会にでも参加すれば、顔出ししているのと大差はないようだが、堂々と自分の顔の画像を看板にしているのとは、見て読む人の印象は随分違うと思う。

そんな私が、実名+顔出しでFacebookでの交流を楽しめている人はどんな心境なのかを推測すると、「美味しいものを食べた」「珍しい場所へ行った」「新しいアトラクションに乗った」など、自分の達成感や優越感がモチベーションになっていて、それを標榜したいという虚栄心が根底にあるように思え、そこに共感を求めようとしているように見えている。「いいね」ボタンは、そのためにあるんだと思う。
斯くいう私だって、知己に虚栄心や慢心を具現化できるような写真とともに、自分の私生活を晒し、見る人の羨望や嫉妬を煽りたいと思うことはあるし、「いいね」ボタンを使って、みんなで同じように虚栄心をくすぐり合うことが悪いものではないのも分かるのだが、私は表現者。自分の個人情報やプライバシーと引き換えに、ちっぽけな虚栄心をくすぐるための仕掛けに精を出しながらビクビクして記事をアップするより、匿名性を盾にして表現の自由を謳歌するほうが心地よいのだ。
だから自分ってヤツはFacebookに向かないんだなあ…と思うと同時に、Facebookを利用するリスクのことについて、みんなもう少し考えてみたらいいのになあ…とも思うわけである。

おっと、まるでFacebookでの交流を楽しんでいる人たちのことを、「プライバシーと引き換えに虚栄心のくすぐり合いをしている浅はかな人たち」とも取られかねないことを書いてしまったが、飽くまで「誇れないルックスと私生活ゆえ『いいね』を貰えるような記事を載せられない」自分の適性のなさと対比させるために必要だった記述なので、怒らないでね~。