13日の金曜美術館|アトリエ如瓶|ブログ・ヘッダ画像

このブログは、世の中の様々な「黙っていられん!!」ことを書くことを主旨としております。お客様や、お客様になるかも知れない方が読む可能性のあるブログではありますが、(書き手が勝手に決めたものながら)主旨を尊重し、常体文で記述して参ります。何卒お含みおきの上、お読みくださいますようお願いいたします。

気がつけば被災地・其の08

7月9日、仮設住宅の現場に入ってからの平均的な時間に作業を終えた私は、旅館へ戻ると大船渡市へ向けての一時離脱のための準備を進めた。
翌10日の午前中には、前出・Y氏が参加しているイベントに参加し、似顔絵描きをすることになっているので、到着が早いに越したことはないのだが、色々と我が儘を聞いた上で働かせてもらっている関係上、早退したいとは言えなかった。
この現場へ来る前は、私の仕事が終わりになるのは9日までのはずだったのだが、これまた前述の通り、作業には遅れが生じていて、他に発生するかも知れないトラブルに備える意味もあって、12日には現場に戻る事になってもいたのだ。
苛烈を極める現場仕事を終え、似顔絵描きで完全燃焼して東京へ戻るのが理想だったのだが、折角好待遇で仕事が出来るのだから、もう2、3日働くのもアリか……というのも本音だった。

さておき、大船渡での唯一の足がかりとなるY氏とは、近所のバーで「参加すれば似顔絵を描くボランティアが出来る」という確認をとっただけで、そのイベントの詳細について何も知らないままだった。
Y氏にしても数回バーで話をしたことがあるだけであって、美大出身のY氏がボランティアとして参加していて、似顔絵を描くスペースや機会を与えられるのだから、何か美術系のイベントなのだろうと、私は勝手に決めつけていた程度だった。
要するに私としては、似顔絵を描いて被災した方々のせめてもの慰みになれれば、イベントがどんなものであるかすらどうでも良かったのだ。

Y氏に「イベントに参加できる」と、ハッキリとした意思表示をしたのも現場に来てから2、3日経過してから携帯電話のメールでしただけだったし、その時でさえオオフナトシという目的地の名称すら記憶が曖昧な有様で、どこへ集合したらよいのかとか、大まかな道順を聞いたのも出発の前々日だった。
Y氏からの返事のメールには「……から2時間半くらいで到着」と書かれていた。受信直後の私は、激務を終え、入浴を済ませたのち、ヴォリュームたっぷりの食事を残さず食べるという大仕事をこなして、どこか朦朧としていたので、旅館からY氏と再会するまでは、多めに見積もっても3時間くらいなのだろうと認識していた。

荷物をバイクに積み、いざ出発しようと思うと、もはや21時過ぎ。Y氏が宿泊している公民館に到着する頃には日付が変わっているかも知れない……と、思った。とにかく急がなくては。
と、そんな焦りもあったためか、出発間近にコンビニエンスストアで飲み物を調達しようとバイクから降りようとしたとき、買ってから数回しか履いていない安全靴(ライディングブーツ代わり)が荷物に引っかかり、みっともなくバイクごと転倒してしまった。
下半身は全体的に軽く筋肉痛で、思ったより脚が開かなかったのと、履き慣れていない安全靴と積んでいた荷物の高さとを充分に認識できていなかったのが原因だったと思う。
慌ててバイクを起こし、飲み物を飲み終えて出発しようと思うと、左足の違和感に気付く。
「うっ、ステップが折れている」
立ちゴケしたときに、起きたことだったらしい。同じような立ちゴケは過去にも無くは無かったし、それでステップが折れるなんて信じられない気分だったが、何ともさい先が悪い。
左側のステップは、走行中に足を乗せるだけでなく、リアブレーキのペダルも付いていて、そのどちらもがフレームから欠落していたのである。
「修理は東京に帰ってからということになると、これから先の道中はリアブレーキ無しか」
……と思うと、何とも心細かったが、まあバイクの走行中に比較的リアブレーキは使わないし、足を乗せる場所は2人乗りの時に同乗者が乗せるステップで代用できる。何より、この程度この事で大船渡行きを諦めるわけには行かないので、構わず走り出し、やがて東北自動車道へ乗る私であった。

Y氏のメールによると、高速を降りたのち、国道284号線から国道45号線と渡っていけば目的地の公民館に到着するとのことであり、私はサービスエリアでの給油などの機会に地名などをメールで確認していたのだが、ふと時間を見るともう24時間近。降りるべき一関の出口までにはもう少しかかりそうだ。
おかしい……と思った私は、もう一度メールをよく読んでみた。
「しまった! 2時間半というのは高速を降りてから公民館までの時間だった!!」
ギョッとした私は、想定したよりも遅くなりそうだとY氏に連絡を取ろうとしたが、こちらの様子を察したかのようにY氏から電話が入る。
「仕事も早く抜けるわけには行かず、到着は明け方になるかも知れません」と、そろそろ寝たいというY氏に告げ、連絡が遅くなったことを詫びた。
Y氏によると、45号線にゴンゲンドウという大きめの川に橋のある交差点があり、近くにある目印というと、そこくらいしかない……との事だったので、本当は迎えにくらい来て欲しかったのだけれど、遅くなるという連絡も遅れてしまったし、これ以上迷惑はかけられない。
駐在所の巡査さんを叩き起こしてでも到着しよう、と私は決意した。

読解力を損なうほどの疲労のせいで、かかる時間を勘違いし、Y氏にも心配を掛け……と、ステップの折れたバイクで国道284号線を走っていた私は、意気の消沈を禁じ得なかったが、国道45号線へ入るのに失敗したらしく、山あいの民家が点在するような峠道へ入ってしまった。やるせないったらありゃしない。
結局、相馬市の旅館へたどり着いた時のように、カンにまかせて走っているうちにどうにか45号線に乗ることが出来た。
国道に出ると、コンビニエンスストアが見付かり、水分補給とトイレがてらに店員さんに確認をとった。
「ゴンゲン……何とかっていう場所はこの先ですか? 下富岡公民館という場所が近くにあるか分かりますか」
「……そうですね。権現堂はこの先です。ただ、下富岡公民館はこの地図でもわかりませんねえ。どうしてもという場合は、途中に警察署がありますから」と、わざわざ地図を出して調べてくれた店員さんに礼を言い、再び出発した。
Y氏の説明通り、川の近くに権現堂という交差点を確認できたが、ちょっと周辺を走ったくらいでは公民館は見付からなかった。
「店員さんのアドバイス通りにするか」
ステップの折れた整備不良の状態で警察署へ行くのは抵抗があったが、このさいやむを得まい。駐在さんを叩き起こすよりはずっとマシだ。

警察署へ入り、カウンターの向こう側に2、3人いる巡査さんに下富岡公民館へ行きたいと話すと、「そこへ何の用かね?」と、日焼けしてヒゲ面で小汚いジャンパーを着ていた、ヘルメットでも持っていなければホームレスと紙一重の風貌の私に、巡査さんも尋問口調だったが、「似顔絵描きのボランティアで……」と事情を話すと、「おお、そうでしたか。おい、ちょっと誰か、下富岡公民館って知らないか」と、他の巡査さんにも協力を要請し、地図を調べてくれた。
権現堂の交差点から橋を渡ったのち、右折後左折……と、クランク状に曲がった先が公民館であった。

到着すると既に夜はすっかり明けた四時半。駐車場にバイクを停めて様子を窺うと、ほぼ民家くらいの規模の公民館はひっそりとしていて、本当にここにY氏がいるとしても、探しようがなさそうだった。
どうしたもんかなあと煙草を吸っていると、中から初老の男性が起き出してきた。
チャンス! とばかりに小声で話しかけてみると、
「そうです。今日のお祭りのボランティアの方が来てますよ」とのことだった。
(……お祭り?)と思いつつも、まあここでほぼ間違いないだろうと思った私は、安堵と共に強い疲労感に襲われた。
忍び足で建物の中に入り、廊下と部屋を仕切っている襖をそっと開けてみると、男女入り乱れて雑魚寝している光景が目に入る。
これでは荷物を置いて寝るスペースを探すなんて無理か……と諦めた私は、板張りの廊下に置いてあったしっかりした大きさのサッカーゲーム(レバー操作でボールを弾いて遊ぶヤツ)のスペースに寝場所を定め、荷物を枕にしばしの休眠をとるのであった……。

…………もうちょっと続く

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