13日の金曜美術館|アトリエ如瓶|ブログ・ヘッダ画像

このブログは、世の中の様々な「黙っていられん!!」ことを書くことを主旨としております。お客様や、お客様になるかも知れない方が読む可能性のあるブログではありますが、(書き手が勝手に決めたものながら)主旨を尊重し、常体文で記述して参ります。何卒お含みおきの上、お読みくださいますようお願いいたします。

気がつけば被災地・其の04

そもそも人助けしていられる立場か……水もれ甲介氏の言葉を思いだした私は、次なる職として目指すWebデザイナーとして、不足している……というか、立ち後れている技術を研鑽すべく(要はカスケーディング・スタイルシート=cssのお勉強)、お勉強と求職を並行して行う日々に戻った。
折しも、cssを使って制作するにはシンプルすぎるHP作りを知人から請け負っており、その腕試しとばかりにフルcssでの処女作の制作を進めようとしたのだが、被災地での似顔絵描きのことは気になるし、多忙を極める発注者とは連絡がなかなか取れないし……などの事情で(言い訳)作業は捗らず、いたずらにストレスを鬱積させていた。

そんな6月のある夜、私は馴染みのお客の集まるお手頃な料金のバーへ出掛けた。
その店の常連には、某美大出の知人・Y氏がおり、6月の上旬に被災地でボランティアをしに行く話をしていて、こちらの被災地での仕事が見付かり、タイミングを合わせられるなら、私も合流したい……などと話をしていたのだ。
もし今夜も、タイミング良く彼と話が出来るなら、生の被災地の様子も聞いておきたいし、被災地での職探しの苦悩を、誰かに話してガス抜きをしたかった……という気持ちもあったのだ(言い訳)。

バーテンさんや他のお客さんなどに、職探しの苦悩などを話していると、バーテンさんの後輩に当たる大工さんも、しばらく被災地で仕事をしようと考え、会社を辞めてまで予定の被災地行きに備えていたらしいが、やはり話を白紙に戻され、途方に暮れているという話を聞いたりした。どこでも同じようなことが起こっているらしい。
人手不足も問題になっているというのに、何が悪ければ善意の求職者がひどい目に遭わなくてはならないのだろうか。

……と、そんな話をしている間に、果たしてY氏は現れた。
「被災地は行った方が良いですよ。ボランティアで行った方が良いですよ」
ボランティアの様子がどうだったのかを、まず尋ねた私に対して、彼はそんな答えをくれ、
「8月も、10日にやりますよ」とつけ加えた。
私も、アテに出来ない仕事を足がかりにしていくよりは、既に被災地入りして状況を知っている知人とボランティアをした方が確実なのかも知れない……などと考えた。
やはり、この未曾有の大天災に、一絵描きとして何もしなかったとあっては、一生悔いを残しそうだ。何だか、人助けというよりは、自分の生き方の問題にすり替わっていつつあったが、その分退いてはならない事であるような気がしていたのだ。

「では、金策が何とかなりそうなら、また連絡しますよ」
と、Y氏に言い、店を後にした。本当は、具体的な金策など何もなかったし、あるのならば、とっくに被災地へ行っていたのだが。

……と、それから更に1週間経ったくらい経った6月28日、金策も何も状況は全く良くなっていなかった私の元に、急展開を告げる着信が携帯電話にあった。

「Mさんが福島の仮設住宅の現場にいて、とにかく人が欲しいから、時間の空いている人を探しているって言うんだけど、如瓶さんどう?」
月一くらいのペースで行っていたスナックRという店に勤める女性からの電話であり、MさんとはRで顔なじみの建築士さんである。
「ああ、話した通り、瓦礫撤去の仕事なら探していましたけど、仮設住宅となると経験が……私で大丈夫なんですかねえ」
と聞くと、
「五体満足なら明日からでも来て欲しいって言ってたから大丈夫じゃない? とにかく電話してあげて」
……とのこと。

M氏に電話してみると、ネットで探していたよりも好待遇で、しかも経験も問わず、バイクで行くのもOKなら、Y氏のボランティアに参加するのもアリで、旅館は食事が美味しいという。
福島県は、流石に私も原発事故の影響が怖かったので、瓦礫撤去の候補地からも除外していたのだが、相馬市(宿)と、南相馬市(現場)であり、原発よりも北の方にあることを聞いて、それなら大丈夫だろうと安心したのだ。
政府が決めた同心円による避難区域指定など無意味であることを私は連日の報道から聞いて知っていたのだ。
既に1カ月滞在しているというM氏によると、
「万一の事に備えて、作業服は長袖が義務だけど、毎日線量は計測していて問題ないから心配しなくてよい」
とのお墨付きであった。

「本当は今夜にでもウチを出て欲しいけど、作業着の調達とかあるなら明日の夜にでも着いてくれれば良い」
と、更にM氏。
電話を切った私は、急すぎる展開に、今のバイクに福島までの長距離走行が大丈夫なのかとか、本当に仮設住宅の現場で私に出来ることがあるのかとか、それ以前に苛烈な肉体労働に体力が持つのかとか、気後れに任せて様々なことが不安になった。

だが、Y氏のボランティアとも重なる時期だし、あれほど切望して叶わなかった被災地行きが、こんなにも簡単に決まったのだから、これはやはり僥倖と言わざるを得まい。
何か問題があればその場で解決すればよいのだ。
今までだって、やりたい事・やるべき事のためになら、どんな事だって堪え忍んできたじゃないか。

導かれるべくして導かれたと言うべきか、念ずれば叶うと言うべきか、とにもかくにも私は、満願叶った形で被災地へ行く事になったのであった。

………更につづく

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