13日の金曜美術館|アトリエ如瓶|ブログ・ヘッダ画像

このブログは、世の中の様々な「黙っていられん!!」ことを書くことを主旨としております。お客様や、お客様になるかも知れない方が読む可能性のあるブログではありますが、(書き手が勝手に決めたものながら)主旨を尊重し、常体文で記述して参ります。何卒お含みおきの上、お読みくださいますようお願いいたします。

気がつけば被災地・其の02

さて、震災に関して日々の報道を見ていた私が、被災した方々に対して絵描きとして出来ることが何かを考えたとき、真っ先に思いついたのは似顔絵描きだった。
私にとっての似顔絵描きは、ファインアートにおける絵画制作そのものからは少し離れたところにあって、幾らか商業的な意味あいのある制作活動であり、なおかつパフォーマンス的な要素も持っているため、本来の自分の絵描きの姿とは区別して考えているものなのだ。
しかしながら、ファインアートの範疇にある過去の作品を避難所へ持っていって、
「どうです? いいでしょ?」
などと披露して回ったとしても、
「お前、何しに来たんだ」
……と、むしろ顰蹙を買うだろうし、「どこかに展示して皆さんでご覧下さい」と、支援物資よろしく送りつけたとしても対処に困られるだろうし、いずれにしても絵描きの社会的立場を失墜させてしまいそうだ。

やはり「今自分に出来ることを」と考えると、自分の本来の在り方とは少し違うけれども、似顔絵描きをやるのが適切そうだという結論に落ち着きそうだった。少なくとも長年に渡るプロとしての活動をボランティアとして提供できるのだから。

しかし……娯楽が少ないこともストレスになっていると聞く被災者の方々に対して似顔絵を描いてあげたとして、そんなことが本当に喜ばれるのだろうか……という不安がよぎる。
音楽や芸人さんの芸などと絵画との大きな違いは「後に遺るもの」かどうかだ。これは双方の特徴であり、一長一短あると思うのだが、後に遺らない音楽や芸は、それに接した人たちを一時的にではあれ無条件に勇気づけることが出来うるだろうけれど、後に遺る似顔絵は、のちのち被災した方々の苦々しい思い出を蘇らせる切っ掛けになったりはしないのだろうか。
「今の苦しい生活のことをのちのち思い出すのは嫌だから遠慮するよ」……などと思う人が多いのではないだろうか。絵画の後に遺るという特性は、この場合逆効果なのではないだろうか。

考えあぐねた私は、何人かの知己に意見を求めてみた。
知己の回答は、一様に「そういうことをボランティアでやる人は少ないだろうから、きっと喜ばれると思う」といったものであり、直接的な被害は受けなかったものの、大きな被害を受けた県の出身である水もれ甲介(注:大学の頃から今も親しくしている友人のmixiでの名前)氏にしても、概ね同意見だったので、「今自分に出来ること」は似顔絵描きと言うことで良いだろうと、結論を出すことが出来た。

ただ……意見を求めた水もれ甲介氏はこうも言った。
「東北のことを思ってくれるのは嬉しいし、行けば喜ばれるだろうけれど、君がそこまでしなくてもいいのではないか」と。
氏の言葉の本意は未確認だけれど、私は「気持ちは分かるけれど、今君は失業中なのだから、被災地より自分自身の復興を優先すべきでは?」とも解釈したのだ。
さきに書いたように、4月から私は再び求職者となり、義援金を捻出することすら難しい立場だったのだが、もとより少ない所持金をはたけばどうにか似顔絵のボランティアを達成することが出来るかもしれない状況ではあった。
だが、行けば被災者の命を救えたり、空腹を補えるようなことであればまだしも、ちょっとした娯楽だか刺激だかに過ぎない似顔絵描きをするために、その後の展望の暗さは被災者に匹敵するかも知れない立場の私がして良いことでは無いような気もしてくる。
と、そんな風に考えると、こみ上げてくるのは無力感でしかなかった。

ちょうどそんな頃に、TV朝日の深夜映画で、北野武監督の「アキレスと亀」という映画を放映していた。それは、ビートたけしが扮する美術に取り憑かれた男の半生を描いたものであった。
何故この折にこんな映画を……と思って観ていると、画学生だった主人公(青年期は柳ユーレイ)が、過激なパフォーマンス芸術の結果、画友を亡くし、その直後別な画友と立ち寄った屋台の親父(大竹まこと)に、
「あんたらねえ、芸術芸術って言ってるけど、腹減って死にそうな人間にピカソの絵と握り飯を出してやったら、ピカソの絵なんて選ぶヤツはいないんだよ。芸術なんてそんなもんなんだよ」
といった意味の厳しくも正論ではある言葉を突き付けられる。
屋台を去った2人は、言葉少なに夜道を歩いていたが、絶望した画友は主人公のスキを突いて、歩道橋(だったか?)から飛び降りて自殺してしまう……。

とりあえず映画のエンディングで、主人公に少しだけ明るい兆しを描写してあるのだけれど、屋台の親父の言葉や、その前後の若き芸術家の死に様などは、ただでさえ我が身を悲しく思っていた私の心にざっくりと刺さった。
「何でこの時期にこんな映画を観てしまったのだろう。放送した意図が分からん!」
と、ますます暗澹たる気持ちになっていったのであった。

………つづく

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