13日の金曜美術館|アトリエ如瓶|ブログ・ヘッダ画像

このブログは、世の中の様々な「黙っていられん!!」ことを書くことを主旨としております。お客様や、お客様になるかも知れない方が読む可能性のあるブログではありますが、(書き手が勝手に決めたものながら)主旨を尊重し、常体文で記述して参ります。何卒お含みおきの上、お読みくださいますようお願いいたします。

気がつけば被災地・其の01

「何て強烈な日差し……本当にここは東北なのか?」

福島県南相馬市の現場へ来て3日目、連日の猛暑のなか作業が進む仮設住宅の屋根の上で、一度取り付けた建材を取り外す作業をしていて改めてそう思った。
黒いゴムか何かでできた防水シートを敷き詰めてあるために異常な高温になっている屋根の上で、ボルトをレンチで外す作業をしていた私は、何度も目眩がしそうになり、これなら地上で資材運びしている方がまだマシなんじゃないか……とさえ思った。
どこの仮設住宅の現場も、資材不足、人材不足、短い作業期間に悩まされていて、急遽呼び寄せたタイ人の職人たちがやらかした杜撰な作業の尻ぬぐいをすべく、一度取り付けた建材を取り外すように言われたのだ。
この杜撰な作業のために、他の仮設住宅でも問題になっていた雨漏りが発生していて、一度施した防水処理を完全に見直す事になったのだった。
他の部分でも、素人同然の大工が施工した仕事の改修作業を、別な大工が担当する事になったりなど、短期間の工期の中で一進一退を繰り返すような状況が続いていたのである。
政府の対応のまずさも否定できない部分だと思うが、先に書いたような様々な「不足」が、仮設住宅不足を招いているのだと、私は実感した。
それくらい、今回の震災は規模も被害も大きすぎたのだ。

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私の「つぶやき」を読んでいて下さった方はご存知だと思うが、私は福島県南相馬市と岩手県大船渡市へ行き、6月29日から7月15日まで微力ながら震災に関連する活動をしてきた。
その道中や作業や活動の様子だけを、日記らしく日付を追いながらUPしていっても良いのだけれど、行き着くまでの動機や経緯も無関係ではないし、むしろその辺りが記録としては大事な部分だったりもするので、その辺りから書き進めていく事にしよう。

……長編だよ。(含笑)

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3月一杯で、折角見付かった派遣先であるはずの大塚の会社を離れる事にした。
大手の少年誌の仕事が多く、忙しくなるかと思っていたところが、残業はほとんどなく、然も13時~21時の勤務時間が8時間ではなく7時間(休憩時間を引き忘れて計算していた)であり、更に前の会社より時給が(相場的に)低くなっていたために収入が激減し、休みの多い1月の給料は失業保険の支給額を下回る有様で、ここではやっていけないと判断したのが理由である。

2月末にその旨を派遣会社にも派遣先にも告げ、次は早くに仕事が見付かりますように……と案じていたところに3月11日の震災。
3月中の仕事は、流通の事情や出版社・印刷会社の事情でほぼ停止し、震災後の2週間は、会社に行くだけ行ってひたすら待機…みたいな状態が続いた。
派遣先からは「この後の職探しは大変だろうからもう1ヶ月くらい居ても構わない」と言って貰えたのだが、私も何もしないまま給料をもらい続けるような状況が続きかねないし、そもそも気が引けたので、やはり3月一杯で職場を去る事にしたのだ。

4月に入り、再び求職期間に入った私は、
「書類上は設定されていないはずの年齢制限のため、幾ら書類を送っても面接の話すら来ないハローワークでの職探し」
をとっくに諦めていたので、ひたすら派遣会社からの連絡を待たなくてはならない立場になってしまったが、震災直後の景気の冷え込みのせいもあって、仕事のオファーは全くなかった。

テレビを見ていると、学生や、私と同じく失業した人がボランティアへいっている様子が報道されていたりする。
追々進む復興作業の中で、亡骸となった家族と対面を果たし、TVカメラの前で涙をこらえきれない被災者の様子も見たし、凄惨の一言に尽きる津波の様子も、繰り返し繰り返し見ていた。
瓦礫撤去の作業に当たっていたボランティアの女子大生が、非力な自分は作業の足を引っ張っているのではないかと苦悩している様子も見たし、芸能人やミュージシャンが避難所へ慰問へ行っている様子も見た。

TV以外でも、被災地へ物資を送ったり、現地へ赴きボランティアをして来たりしているマイミクさんの様子もmixi上で文字情報として知ったりもした。

そうしていると、昨年の失業期間のため、蓄えらしい蓄えも消え失せて募金すら出来ず、職探しのために日々の時間を何も生産しないまま費やしていく自分の身が呪わしく思え、無力感に苛まれるようになって来ていたのだ。

「このまま何も出来ないままでいて良いのか? 絵描きは何も出来ないのか? 絵描きは何もしなくて良いのか?」

そんな気持ちは日に日に強くなっていったのである。

……つづく

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